橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

祝島へ行った その6 のんびりなだけじゃない インディペンデントな祝島の第一次産業 

2010-07-06 23:31:28 | 祝島へ行った
前回は、祝島にスマートグリッドが設置されるかもしれない話を書いたが、
今回はやっとやっとやーっとのことで、「祝島へ行った」の続き「その6」。

のーんびりした祝島散歩から垣間見えたインディペンデントな祝島の第一次産業について。

第一次産業についてですとは言ったものの、今回の祝島の旅、たった一日の滞在。島の人の話をじっくり聞いた訳でもない。たまーに人を見かけても、のんびりした土曜日の昼下がり、突然、話聞かせてくださいなんて素性も分からない人間に話しかけられたら地元の人も引くかなあと思ったりして、世間話の下手な私は、おのずと遠巻きに島を眺めることとなってしまった。実際、おじいちゃんたちが集まって話しているところに声をかけたが、うまく話が繋げなくて妙な空気になってしまったし(笑)。

そんなわけで、島の第一次産業を語るとはいっても、情報は限られていて、かなり勝手な希望的観測にならざるを得なかったのだが、先日(6月19日)、祝島の事をとりあげた映画「ミツバチの羽音と地球の回転」を見る機会を得、その時同時に鎌仲監督と祝島の氏本農園さんのトークも行われたので、その想像の部分を埋めてもらうことができた。
「ミツバチの羽音と地球の回転」オフィシャルサイト

映画上映後の鎌仲ひとみ監督と氏本農園さんのトークショー

(ぜんぜん顔が分からんサイズですいません)

まさに、映画では、私が歩いた祝島の風景の向こう側、私が見られなかった練塀の中、平日の朝、海に出ている船の上等々の人々の生活が丁寧に描かれていたのだった。

というわけで話は再び、5月の青空の下、祝島で自転車に乗ってる私に戻ります。


<祝島でのデジャブ>

前回も書いた通り、訪れた祝島には食堂が一軒もなかった。
ガイドマップを見ると、宿はある。商店も数件あるが、当然のごとくチェーン店などというものはなく、個人経営の店しかない。家電屋などは見当たらず、確か、定期船で大きな薄型テレビが運ばれて来ていた(この時見当たらなかっただけで、祝島ホームページを見たら電器屋さんありました)。銀行はなく、金融機関は郵便局が担っている。ゆうちょしか無いのが過疎地の一つの象徴だ。

そしてその時、以前、これと似たような風景を見た事があることに気付いた。
阪神大震災の年の夏、旅番組の仕事で行った、高知県は四万十川沿いの西土佐村で見た風景だ。
川に沿って走る国道は一車線で、道のコブのところでしか車がすれ違えない(現在どうかは確認していない)。小さい郵便局があって、その側に民宿が一軒、向かいによろず屋が一軒、ちょっと離れた所に食品のお店が一軒。チェーン店なんてあるわけがない。山の奥でもないのに陸の孤島みたいなところで、だからこそ四万十のの自然が守られていたのだ。
そして、この時の取材で、将来の地元の農業を支えることになるリーダーと出会った。
当時、お茶を地場産業にしようと四万十ドラマという会社を立ち上げたばかりだった畦地履正さんだ。この事業は15年後の今、四万十川の自然を守りながら地産地消をすすめるビジネスとなり、四万十ドラマは地域を支える会社として成功をおさめている。畦地さんは「四万十のリショー」として大活躍だ。私がボヤボヤしていたこの15年の間に四万十の人々は着実に自然とビジネスを共生させてきたのだ。
そんな四万十の人々に当時私が感じたのは、田舎を「田舎だから」などと卑下しない誇りだ。銀行もスーパーマーケットも本屋もない集落でみんな楽しそうに暮らしていた。

あれから15年が過ぎた初夏、なーんにもない祝島の風景を見ながら、私は、かつて四万十川に行った時のような気分になっていた。そして、多分ここにもそんな誇りと暮らしがあるんだろうなあと想像した。


<中電さん知ってますか? 祝島の第一次産業の力>

祝島の漁業や農業については祝島ホームページ祝島市場ホームページで行く前から簡単には知っていた。
地元のひじきやイカやタコ、びわやびわの葉茶などは通販でも売られていて、多くの注文が入っているようだ。しかし今年は原発の反対運動で忙しくて思うように出荷量を確保できず、サイトには、注文になかなか対応できず申し訳ありませんというお詫びが掲載されていた。
私は、島には地元産品の販売所があって、そこに行けば、島の漁業や農業の話も聞けるだろうと安易に考えていた。
しかし、そんなもんは無かった。驚くほど祝島は観光化されていなかった。今考えれば、そんな販売所があると思っていた私のほうがおかしいかったんだという気さえする。
次の瞬間、私は農業や漁業について島の人に話を聞こうという野望はとっくに捨てて自転車を漕いでいた。
 
そんな私の目と耳に飛び込んできたのは、ブーブーという鳴き声と走り回る豚ちゃんたちの姿だった。
 
 電気の通ったこの細い柵だけで囲まれた広い敷地の中を豚たちは走り回っている。餌をもらえると思うのか、人が柵に近寄ると、豚もブーブーやってくる。
写真には写っていないが、NPOの休日学級で来ていた子供達も戯れて、豚ちゃんたちは幸せそうだ。
ここが、後に知る映画にも出る氏本農園だったのだが、この時はつゆ知らず、畜産やってる人もいるんだあくらいに思ってて、これだけ元気に飼われた豚なら、都会ではさぞかし高い値段で売れるんだろう、東京には出荷してるんだろうかなんて夢のないことを考えていた。
目の前のかわいい豚ちゃんの姿をすぐにお金に換算してしまうのは、原発に反対していることがやせがまんではないことを第三者に納得させるだけの経済力を持って欲しいという思いがあるからだ。つまり、’経済的には第一次産業で十分やってけますから’、補助金とかいらないんですとはっきり言える経済力を持って欲しいのだ。

というのも、映画「ミツバチの羽音と地球の回転」の中にはこんな場面がある。
中国電力の職員が祝島の住民に対し、「この先、第一次産業でやっていくのは無理だから、みなさんを助けてあげようと思って原発を誘致するのだ」と言って説得するのだ。

しかし、こんなことを言う中電職員は、はっきり言ってアホである。

彼ら中電さんは、氏本さんちのソーセージ(正確にはニュールンベルガー)が一体いくらで売れていると思っているのだろう。

1000円ですよ! 4本で1000円。160gで!
添加物は当然無し。その値段でも良いものならば買う人はいるのだ。
氏本さんの商品は、私が現地の豚ちゃんたちを見て思った通り、東京のレストランなどに良い値段で出荷されているのだそうだ。中電が言う第一次産業じゃやってけないなんて大嘘だ。
 
さらに言えば、そのおいしさの秘密は、放し飼いだけでなく、島の人の家から出る果物や野菜の皮などの生ゴミを餌として有効利用している点にもあったりして、ゴミも減る上においしい肉になるという一石二鳥。誰にも文句は言わせない。
その辺は「ミツバチの羽音と地球の回転」の中で詳しく描かれているので、そちらを見て下さい。

あと、余談ではあるが、こんな牛ちゃんもいた。

あんまりおとなしくてのっそり座っているもんで、一瞬我が目を疑ったが、もう普通に道路のすぐ脇に鎮座していた。刺激したら飛びかかってくるぞというようなすぐ目の前。最初はぎょっとしたけど、つぶらな瞳を見つめていたら、なんだかかわいく思えてきた。じろっとこちらをにらんだ瞬間を写真に収めようとしたんだけれど、タイミングが合わず。
 後日、氏本さんのブログ氏本農園・祝島だよりを見たら、この翌日(5月9日)に一頭の牛が出荷されて行ったそうな。それはこの牛だったんだろうか??

ちなみに、こちらは映画の会場で売っていた島のおばちゃんたちが茹でたタコ足、500円。

解凍して最初はお刺身で、残った分は翌日ソテーしたら旨旨だった。
サラダにだってできるというほど柔らかくておいしいという「ひじき」は既に完売で手に入らず。残念。
 
ネット通販祝島市場の世話をする青年、山戸孝さんは、映画の中で、まだまだ大変ですと語っていたが、「あんたら中電が来んかったら、通販の注文に全部対応できてもっと儲かるんよ」というおばちゃんたちの声が聞こえてきそうだ。絶対に可能性のある事業である。

四万十の畦地さんの例でも分かるように、ものの価値を理解するリーダーさえいれば、過疎地の第一次産業は武器となる。そして祝島には氏本さんや、まだ若い山戸さんがいる。

そんな氏本さんのブログの最新記事(6/29付け)はなんとマイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』。上関原発計画に対し、共同漁業権管理委員会の多数決に従わず、祝島だけが反対している事の正当性を確認し、正義の所在を確かめたいという。これだけを読んでも、ただ感情的に反対運動をしているのではないということが分かる。
また、このブログでは、昨今の口蹄疫問題にも触れ(5/26付け)、離島の価値を再確認するなど、とても示唆にとんだ記事が多い。是非ご一読をお勧めします。
 
島の人が、こうした努力をしている一方で、電力会社など既得権にぶら下がる人々は、志しある第一次産業からの挑戦がいかにビジネスとして力を持っているかを、中々理解しない。
いや理解したとしても、もっと大きな意思のもとで原発誘致は進められ、覆す事が容易ならなくなっているのかもしれない。

しかし、過疎地とか第一次産業に対する見方を変え、世間一般の価値観に少しずつでも風穴を開けていく事で状況は変わりうるはずだ。
これからは、過疎地にこそ新しい価値が生まれ、そうした価値観がさらに新しい時代を切り開いていくと思う。
わたしも、これから「今こそ過疎地」「今こそ離島」と訴えてみようかなあ。
うちの実家のあたりも10年後には人口半減の予測が出ているらしいし・・・。

なんだかまとめに入ってしまった感があるのですが、
次回は、祝島で見かけた農業漁業に関することで、今回入れられなかった事を続けます。