今回もまた、大須賀筠軒(おおすがいんけん 天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を紐解いてみたいと思う。『磐城誌料歳時民俗記』には、江戸時代から明治時代の初めにかけてのいわき地域の民俗や人々の暮らしが極めて丹念に書き綴られている。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦7月28日の項には、次のような記述がある。
廿八日 材木甼不動明王縁日。
これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。
旧暦7月28日 いわき市平の材木町に鎮座する不動明王の縁日である。
因みに、ものの本を紐解くと、不動明王については「満面に怒りをあらわにし、右手に剣、左手に縄を持ち、炎に包まれた姿で岩の上に座っている。大日如来のもとで諸悪を撃退し、災害を除き、行者を守り、人々の願いをかなえる」と解説されている。
さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦7月28日の項には、次のような記述がある。
廿八日 材木甼不動明王縁日。
これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。
旧暦7月28日 いわき市平の材木町に鎮座する不動明王の縁日である。
因みに、ものの本を紐解くと、不動明王については「満面に怒りをあらわにし、右手に剣、左手に縄を持ち、炎に包まれた姿で岩の上に座っている。大日如来のもとで諸悪を撃退し、災害を除き、行者を守り、人々の願いをかなえる」と解説されている。