いわき市平上高久字神下の大日堂を久ぶりに訪れた。
境内で、いの一番に私を迎えてくれたのは六地蔵だ。
そして、その先、杉木立のなかに鎮座していたのが、
お目当ての動く大石「牛石」だ。
この石は、大日如来が乗っていた牛が姿を変えたものだといわれている。
以前に訪れた時には、苔むした牛石の上に枯葉が落ち、
そこには杉の若木なども生えていたように記憶しているが、
現在、それらは全て取り除かれ、牛石は地肌をあらわにしていた。
大須賀筠軒(1841年~1914年)は『磐城誌料歳時民俗記』で、
この牛石を次のよう紹介している。
城ノ巽一里半許、上久村ニ神下大日堂アリ。
是日、縁日ニテ參詣アリ。
仁王門ノ前、右ノ方ニ牛石ト名ヅクル大石アリ。
横九尺餘、五尺許。色黒ク、形、蹲牛ノ如シ。
兒童、指頭ニテ之ヲ推スニ、少シク動ク。
力量アル人、多勢力ヲ極メテ推スモ、
其動ク所ハ小童指頭ノ推スニ異ナラズト云フ。
余、曾テ此堂ヲ過ギシ時、試ニ推スニ、毫モ動カズ。
漢字とカタカナで書かれた漢文読み下し調の難解な文章だが、
現代語に訳すると、次のようになるかと思う。
磐城平城の南東約6km、上高久村に神下大日堂がある。
この日が縁日で、人々が参詣に訪れる。
仁王門の手前、右の方に「牛石」と呼ばれる大きな石がある。
横幅が約3m、高さが約1.5mで、色は黒く、
牛がうずくまったような形をしている。
小さな子どもが指先でこの石を押すと、
カクッカクッとわずかに動くという。
しかし、大人が力まかせに押しても、
子どもが押した時と同じようにしか動かないともいう。
私(大須賀筠軒)も試しに押してみたことがあるが、
その時には微動だにしなかった。
試みに、私もこの石を押してみたことがあったが、ピクリッともしなかった。
境内で、いの一番に私を迎えてくれたのは六地蔵だ。
そして、その先、杉木立のなかに鎮座していたのが、
お目当ての動く大石「牛石」だ。
この石は、大日如来が乗っていた牛が姿を変えたものだといわれている。
以前に訪れた時には、苔むした牛石の上に枯葉が落ち、
そこには杉の若木なども生えていたように記憶しているが、
現在、それらは全て取り除かれ、牛石は地肌をあらわにしていた。
大須賀筠軒(1841年~1914年)は『磐城誌料歳時民俗記』で、
この牛石を次のよう紹介している。
城ノ巽一里半許、上久村ニ神下大日堂アリ。
是日、縁日ニテ參詣アリ。
仁王門ノ前、右ノ方ニ牛石ト名ヅクル大石アリ。
横九尺餘、五尺許。色黒ク、形、蹲牛ノ如シ。
兒童、指頭ニテ之ヲ推スニ、少シク動ク。
力量アル人、多勢力ヲ極メテ推スモ、
其動ク所ハ小童指頭ノ推スニ異ナラズト云フ。
余、曾テ此堂ヲ過ギシ時、試ニ推スニ、毫モ動カズ。
漢字とカタカナで書かれた漢文読み下し調の難解な文章だが、
現代語に訳すると、次のようになるかと思う。
磐城平城の南東約6km、上高久村に神下大日堂がある。
この日が縁日で、人々が参詣に訪れる。
仁王門の手前、右の方に「牛石」と呼ばれる大きな石がある。
横幅が約3m、高さが約1.5mで、色は黒く、
牛がうずくまったような形をしている。
小さな子どもが指先でこの石を押すと、
カクッカクッとわずかに動くという。
しかし、大人が力まかせに押しても、
子どもが押した時と同じようにしか動かないともいう。
私(大須賀筠軒)も試しに押してみたことがあるが、
その時には微動だにしなかった。
試みに、私もこの石を押してみたことがあったが、ピクリッともしなかった。
いわき明星大学の近くにあったんですね。
上高久の神下というから、
どこかにあるのかと思いましたが・・・。
でも、現在では全く動かないみたいですね。
そうです。「牛石」があるのは、いわき明星大学の東側です。といっても、これだけで場所がわかるかといえば、難しいですが、そのあたりをうろうろと少し探せば、行き当たるかと思います。
六地蔵があったり、立派な大日堂の建物もあります。
確か、ここでは、9月に獅子祭りも行われていたと思います。上高久の青年の皆さんが大日堂の境内で、獅子舞を奉納するのです。
そういえば、9月のいわきは獅子舞の季節です。市内各地で獅子舞(風流系、一人立ちの鞨鼓獅子)が行われます。