『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

動く大きな石「牛石」

2006年08月26日 | 伝説
いわき市平上高久字神下の大日堂を久ぶりに訪れた。
境内で、いの一番に私を迎えてくれたのは六地蔵だ。
そして、その先、杉木立のなかに鎮座していたのが、
お目当ての動く大石「牛石」だ。
この石は、大日如来が乗っていた牛が姿を変えたものだといわれている。
以前に訪れた時には、苔むした牛石の上に枯葉が落ち、
そこには杉の若木なども生えていたように記憶しているが、
現在、それらは全て取り除かれ、牛石は地肌をあらわにしていた。
大須賀筠軒(1841年~1914年)は『磐城誌料歳時民俗記』で、
この牛石を次のよう紹介している。

城ノ巽一里半許、上久村ニ神下大日堂アリ。
是日、縁日ニテ參詣アリ。
仁王門ノ前、右ノ方ニ牛石ト名ヅクル大石アリ。
横九尺餘、五尺許。色黒ク、形、蹲牛ノ如シ。
兒童、指頭ニテ之ヲ推スニ、少シク動ク。
力量アル人、多勢力ヲ極メテ推スモ、
其動ク所ハ小童指頭ノ推スニ異ナラズト云フ。
余、曾テ此堂ヲ過ギシ時、試ニ推スニ、毫モ動カズ。

漢字とカタカナで書かれた漢文読み下し調の難解な文章だが、
現代語に訳すると、次のようになるかと思う。

磐城平城の南東約6km、上高久村に神下大日堂がある。
この日が縁日で、人々が参詣に訪れる。
仁王門の手前、右の方に「牛石」と呼ばれる大きな石がある。
横幅が約3m、高さが約1.5mで、色は黒く、
牛がうずくまったような形をしている。
小さな子どもが指先でこの石を押すと、
カクッカクッとわずかに動くという。
しかし、大人が力まかせに押しても、
子どもが押した時と同じようにしか動かないともいう。
私(大須賀筠軒)も試しに押してみたことがあるが、
その時には微動だにしなかった。

試みに、私もこの石を押してみたことがあったが、ピクリッともしなかった。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 高木誠一が書き残した「奥参り」 | トップ | いわき市内郷の笑堂観音 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
動く牛石 (サボテンくん)
2006-09-01 16:31:32
この「牛石」って、

いわき明星大学の近くにあったんですね。

上高久の神下というから、

どこかにあるのかと思いましたが・・・。



でも、現在では全く動かないみたいですね。
返信する
Re-サボテンくん (瀬戸しゅん)
2006-09-03 06:35:53
サボテンくん、ご投稿ありがとうございます。



そうです。「牛石」があるのは、いわき明星大学の東側です。といっても、これだけで場所がわかるかといえば、難しいですが、そのあたりをうろうろと少し探せば、行き当たるかと思います。

六地蔵があったり、立派な大日堂の建物もあります。



確か、ここでは、9月に獅子祭りも行われていたと思います。上高久の青年の皆さんが大日堂の境内で、獅子舞を奉納するのです。



そういえば、9月のいわきは獅子舞の季節です。市内各地で獅子舞(風流系、一人立ちの鞨鼓獅子)が行われます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

伝説」カテゴリの最新記事