『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

稲扱き(いねこき)

2007年12月05日 | 伝説
大須賀筠軒(天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、
明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととします。
どうぞ、お付き合いください。

『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦10月9日の項には、 
次のような記述があります。

九日 枕友ニ云フ、稲コキ、女一日ニ十八束程ヲ上手トス。稲麦トモニ六手ヲ一把トシ、六把ヲ一束トス。雇賃一日四度ノ賄ニ、四度賄トハ、朝昼晩ノ三食ニ、晝晩ノ間ノ小晝飯ヲ加フルナリ。黒米三升ナリ。刈上ゲヲ過グレバ、黒米一升五合ニ減ズ。雇ハルヽ者多クナル故ナリ。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思います。

陰暦10月9日 江戸時代の宝暦年間に、 
吉田定顕が書き記した『磐城枕友』に、
次のような記載がある。
稲扱き作業では、
1日に28束ほどの稲扱きが出来る女性を上手とする。
稲も、麦も、6手を1把と数え、6把を1束と数える。
人を頼む際の報酬は
1日に4回の食事を食べさせ、それに玄米3升を与える。
刈り上げが終わると、報酬は玄米1升5合になる。
田の仕事が終わり、雇われに出る人が多くなるからである。
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