『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

旧暦6、7月の間 奥参り その4   

2007年08月09日 | 歴史
今回もまた、大須賀筠軒(おおすがいんけん 天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を紐解いてみたいと思う。『磐城誌料歳時民俗記』には、江戸時代から明治時代の初めにかけてのいわき地域の民俗や人々の暮らしが極めて丹念に書き綴られている。

さて、前回に引き続き、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦7月の項にある湯殿山参詣についての記述を取り上げる。

維新後ニ及ビ、行屋ナルモノハ多クハ帰農士族ノ家宅ト為リシ。奥參リハ今モ多ケレドモ、潔斎行事ハ昔日ノ如クナラズトイフ。」

これを現代的な表現に書き改めると、次のようになるかと思う。

明治時代になって、各村にあった「行屋」の多くは帰農した武士の家として使われるようになった。現在(明治25年)でも、「奥参り(湯殿山参詣)」を行う者は多いが、それに伴う7日間の潔斎を行う者は少なくなった。


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