『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

旧暦7月24日 わか・もりこ   

2007年09月12日 | 歴史
今回もまた、大須賀筠軒(おおすがいんけん 天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を紐解いてみたいと思う。『磐城誌料歳時民俗記』には、江戸時代から明治時代の中頃にかけてのいわき地域の民俗や人々の暮らしが極めて丹念に書き綴られている。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦7月24日の項には、次のような記述がある。記述の内容は前回の「もりこ」や「わか」に関する事柄だ。

維新以来、巫覡妖妄、衆ヲ惑スモノヲ禁ゼラル。開明ノ美事ト謂フベシ。然ルニ、わか、もりこノ類、今猶ホ其業ヲ改メズ、潜カニ民間ニ往来セリ。大同小異ナレドモ、余ガ見聞ノ及ブ所ヲ記センニ、わか、もりこヲ信ズル者ノ家ニ疾病事故アレバ、直ニ之ニ就キ、祈祷ヲ請フ。女巫、一竹弓ヲ覆桶上ニ直キ小竹枝ヲ執リ、ク額上ニ捧ゲ、時々弦ヲ敲キ、之ヲ鳴シ、口ニ心經、觀音經ノ類ヲ唱ス。唱シ了ルコロ、竹枝自ラ顫動シ、女巫ノ相貌頓ニ變ズ。是ヲ神ノ乗リ移リシトイフ。卒然、説キ出シテ曰ク、是生靈ノ祟ナリ、是死灵ノ祟ナリ、或ハ犬馬ノ祟ナリ、神佛ヲ汚スノ罸ナリ。概ネ、請フ者ノ人ト為リヲ察シ、種々怪異ノ言ヲ發シ、先ズ其心ヲ聳動ス。然後、祈祷ノ方ヲ示ス。或ハ蜚語ヲ作為シ、某月大震アリ、某日暴風雨アリ、或ハ某人何ノ神ヲ祀ラズ、必ズ火災アリ、某家何ノ塔ヲ作ラズ、必ズ疫病アリナド云触ラシ、祈祷ヲ勧メ、私利ヲ射ル。詐偽狡獪モ亦甚ト謂フベシ。其生靈ノ祟リト唱ヘ、現ニ其人ヲ指スニ至ツテハ、往々大害ヲ来タシ、或ハ親子兄弟ノ至親ヲ害シ、或ハ夫婦ノ愛ヲ割キ、朋友ノ信ヲ傷ル事ニモ及ブアリ。愚俗惑溺ノ久、禁シテ之ヲ驅ルト雖モ、牢乎抜クベカラズ、歎ズベキカナ。

これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。

明治維新以後、「もりこ」や「わか」などによる大衆を惑わすような行為は禁止された。まさに「開明の美事」である。
しかし、現実的には「もりこ」や「わか」などの活動は今も密かに続いている。私が目にした「もりこ」や「わか」の所業を以下に記すこととする。
「もりこ」や「わか」を信ずる家で病人が出たり、事故があったりすると、すぐに「もりこ」や「わか」に祈祷を依頼する。「もりこ」や「わか」はうつ伏せにした桶の上に竹弓を一本置き、また、手には竹枝を頭上に捧げ持ち、時々、その竹で竹弓の弦を敲き、音を出す。その間、般若心経や観音経などを大きな声で唱える。御経が終わる頃、手に持った竹枝が自ら震えはじめ、「もりこ」や「わか」の顔付きが一変する。これを神が乗り移ったという。そして、突如として、「これは生霊の祟りだ」とか、「これは死霊の祟りだ」、「犬や馬の祟りだ」、「神仏を汚した罰だ」などと口にする。これらの殆どは、依頼者の人柄や家の状況などを推察したうえで発するもので、家人を動揺させ、その後、それらを鎮めるための祈祷の方法などを教える。また、なかには、「某月に大地震が起こる」とか、「某日に暴風雨が来る」、「某は何々の神を祀っていないから、火災に遭う」、「某家では何々の塔を作らないから、疫病に罹る」などと言い触らし、祈祷を勧め、その謝礼を得ようとする者もいる。これは狡猾な詐欺行為である。また、目の前にいる人を指差し、「この者がお前に崇りをなしている」などと言うこともあるが、これが原因で人間関係にひびが生じ、親子兄弟を争わせ、夫婦の仲を裂き、友情を破綻させてしまうこともある。しかしながら、人々のなかには「もりこ」や「わか」に頼っている者が多く、これを禁止しても、なかなかそれがやめられない。誠に嘆かわしいことだ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 旧暦7月24日  わか   | トップ | 旧暦7月25日  松崎稲荷の祭... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

歴史」カテゴリの最新記事