『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

旧暦7月27日 諏訪神社祭礼  

2007年09月14日 | 歴史
今回もまた、大須賀筠軒(おおすがいんけん 天保12(1841)年~大正元(1912)年)が、明治25(1892)年に書き記した『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を紐解いてみたいと思う。
『磐城誌料歳時民俗記』には、江戸時代から明治時代の初めにかけてのいわき地域の民俗や人々の暮らしが極めて丹念に書き綴られている。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の旧暦7月27日の項には、次のような記述がある。いわき市内の諏訪神社の祭礼についてのものだが、特に小川の諏訪神社について詳しく書かれている。

廿七日 各處諏訪明神例祭。城北二里半、萩塩田二村ノ分界ニ神倉諏訪明神アリ。元亨二年小河入源義綱ノ勸請スル所ニシテ、小川郷ノ総鎮守ナリ。諸人群集、頗ル繁昌ナリ。是日、雨フレバ、八月十五日ノ八幡例祭ハ晴天ナリ。是日、晴ナレバ、八幡祭日ハ雨アリトイフ。

これを現代的な表現に改めると、次のようになるかと思う。

旧暦7月27日 いわき市内各地の諏訪神社で祭礼が行われる。磐城平城の北10キロメートルのところ、高萩村と塩田村の境に諏訪神社が鎮座しているが、この神社は元亨2(1322)年に小川入源義綱が勧請したもので、小川地区の総鎮守になっており、祭礼の際には多くの人々が訪れる。
諏訪神社の祭りの日に雨が降れば、旧暦8月15日に催される八幡神社の祭りは晴れになり、逆に、諏訪神社の祭りの日が晴れれば、八幡神社の祭りは雨になると言い伝えられている。
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