『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

陰暦12月  納豆づくり

2008年05月13日 | 伝説
天保12(1841)年に、
いわきの地に生まれた大須賀筠軒(大正元(1912)年没)が、
明治25(1892)年に書き記した
『磐城誌料歳時民俗記』(歴史春秋社刊)を
ひも解くこととする。

さて、『磐城誌料歳時民俗記』の陰暦12月の項には、
次のような記述がある。「干納豆づくり」についてのものだ。

廿五日 大豆ヲ煮テ納豆トシ、米ノ粉ヲカラミテ、
正月雜煮ノ膳ニ付ル。是ヲ干納豆トイフ。
又、柚ノ皮、とうがらしヲ刻ミ、塩ヲ混和シ、酒ノ肴トス。
寡婦、貧困ノ儕ト雖モ、是日、納豆ヲ煮ザル事ナシ。

これを現代的な表現に改めると、
次のようになるかと思う。

陰暦12月25日 この日、大豆を煮て納豆にし、
それに米の粉をからめ、正月に雑煮と一緒に食べる。
いわゆる「干納豆」である。
また、柚子の皮と唐辛子を小さく刻み、
それに塩を混ぜる。これは酒の肴にする。
一人暮らしの未亡人でも、また、貧しい家でも、
この日には必ず納豆を作る。
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