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皿からはみ出す 巨大なアジフライ @とんかつ まるや

昨晩テレビを見ていて、思わず快哉を叫んでしまいました
沖縄の県知事選挙で 普天間基地の辺野古移設反対を訴えた前那覇市長の翁長さんが、移設推進の現職仲井真知事の再選を阻んで当選確実との速報です。
投票率は高かったとは言えませんが、最近の東京などの30%台に比べれば はるかに高い投票率
いまだ国土の0.6%の沖縄に全国の基地の74%が存在するという沖縄の選択を 本土(ヤマト)政府に突き付ける形となりました。

さて 今日は仕事で、あまり土地勘のない世田谷や青山界隈を車で移動。
用事を終えると ちょうど時分どき。先方のビルの地下にある商店街でのランチ。 道路同様、土地勘のない建物ですので、「さてどこへ行こうか…」と迷いましたが、エレベータを降りた飲食店の入口近くに行列が、、、

ド~ンと掲げられたのぼりに「ロースかつ」の文字
チョッと食指が動きましたが、あまり肉が続くのは…と思って通り過ぎようと思ったら、横に小さく「アジフライ」の文字。
うん、「お魚ならいいかな?」と思って、列の最後尾に 、、、
カウンターで暫し待って出てきた アジフライがこちら


お皿からはみ出すくらいのキングサイズ!
 
シジミの味噌汁(実はほんの少しでしたが)に熱々の白ご飯とお新香がついて800円。 ロースかつ定食なら700円と、場所を考えれば懐にやさしい「とんかつ まるや」です
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雑司ケ谷鬼子母神~「和邑」でランチ

今日の東京は時々薄雲が広がる時間もありましたが、だいたい晴れの良い天気
空気も乾いてきて、洗濯ものもよく乾きます

今日は雑司ケ谷鬼子母神の「手造り市」を家人に付き合って、チョッピリ散策。


鬼子母神の「」の字は、正しくは扁額のとおり 上のが付かない「 」と書きます。
というのも、元は沢山の子の母でありながら人の子を捕まえて食べていた鬼子母神を 釈迦が仏法に帰依させ仏法の守護神となり、子供と安産の守り神となったという故事に由来して「角」の無い「」を用いるようになったと言われています。

市を冷やかしていると ちょうど時分どき。 鬼子母神さんから3分ほどの「和邑」でランチ
今日は手造り市に加えて、七五三のお参りの人も多く、いつもならのんびり蕎麦前をいただく和邑さんですが、お店の前には結構な行列が出来ていたので、蕎麦前は省略してまずいただいたのは 天麩羅の盛り合せ


香ばしく揚がった海老。 頭も別にカラッと揚げて添えてくれます。

家人は 挽きぐるみ。 私は挽きぐるみを除いた三色
シェアすれば 都合四種類のお蕎麦が楽しめます

今日の変わり蕎麦は 手前の胡麻切り  新蕎麦の香りに加えて、胡麻の風味が感じられる一茶庵系の美味しいお蕎麦です
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煮奴に もり蕎麦(重ね) @甲子

昨日は早逝した友人の墓参りで、同期の仲間を中心に10人ほどで江古田の墓所に集まりました。
あらためて墓誌をみると今年は13回忌。 昔は一緒になって「悪いこと」をやっていた仲間も、今の話題は身体や年金のこと… 月日のたつのは早いものです。

駅に戻る途中の大衆酒場で献杯のあと、いつもの流れで踏切そばの「甲子」へ。
普段なら玉子焼きや飛龍頭をアテに蕎麦前…といくところですが、献杯を済ませたあとなので「煮奴」だけいただいて、石臼挽き自家製粉のお蕎麦に、、、


蕎麦汁でサッと煮込んで かつを節を絡ませた「煮奴」。


「もり蕎麦(重ね)」といっても、余所の1枚分を甲子では小ぶりの朱塗りのせいろに水切りがいいように薄く散らして供するので 量は普通。

初冬の夕暮れ時、個人を偲びながら いただきました。

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野菜もたっぷり、、、「ビビンパ肉重」 @叙々苑 燦々亭

今朝 窓から外を眺めたら、一面真っ白な霧
この現象は「放射霧」と呼ばれ、雨が降った後、晴れて急速に地表が冷やされると起こるようです。
そのため、東北道は一時通行止めになったほか鉄道でも遅れが出ていたようですが、気温の上昇とともに霧も解消。
昼頃は陽射しも暖かく 気温も20℃と、快適な陽気になりました

昨日の 師走のような寒さから一転 暖かくなったので、友人に誘われてランチ。 会社からチョッと歩いた「叙々苑 燦々亭」に行ってみました。

いただいたのは写真の「ビビンパ肉重」

お重の中には ゼンマイ、豆もやし、小松菜に大根のナムルが載った横に 甘辛いタレがしみた牛肉
甘味噌・辛味噌取り混ぜて よ~くかき混ぜて 美味しくいただきました。
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東博の、、、日本国宝展

10時少し前、縦揺れに続いて強い横揺れを感じて、軌道に乗りかけた仕事もしばし中断
茨城県南部が震源で、東京でも震度3。東京ではここしばらく大きな揺れを感じる地震は無かったのですが、御嶽山の噴火や東京直下型地震が近いと噂される昨今ですので、職場もしばしざわめいていました。

さて 画像は昨日行った上野の国立博物館の「日本国宝展」のトップページ

期間限定で正倉院御物の出展もありましたが、昨日は既に終了。 でも入口からすぐの所に置かれた玉虫厨子をはじめ、祈りをテーマに、仏と神と、人の心をつなぐ役割を担ってきた絵画・彫刻・工芸・典籍・考古資料など120点が勢ぞろい

先日出光美術館に見に行った「海の正倉院」・宗像大社の沖ノ島遺跡群から出土した三角縁神獣鏡や、何年か前に夏に蓼科を訪れた時にたまたま寄った茅野市尖石縄文考古館の土偶など、久しぶりに再見するものも多々ありましたが、さすがは『東博』と嘆息させられる 国宝の量に圧倒された「日本国宝展」でした

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天なん蕎麦 @神田まつや

今日の東京は朝からどんよりとした曇り空
気温も上がらず まだ11月だと言うのに師走のような寒さです。

今日は先日の日曜出勤の振替で午後はお休み。淡路町まで足を延ばして「神田まつや」にやって来ました。



普段なら「もり」と言うとこですが、肌寒さ故 いただいたのは温かい「天なん蕎麦」


手前 ざっくりと切られた千住葱の向こうに 小ぶりの海老天が3本
最初の一本は衣の食感を楽しみつつ、食べ進む内に汁に衣が溶け出して渾然一体となる味の変化も楽しめます♪

もうすぐ 湯気が恋しい季節ですね
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“1年牡蠣”を使ったカキフライ @ときわ食堂

今日の東京は晴れ
昨日は肌寒かったのですが今日は20℃を超え、快適な一日でした。

西巣鴨まで出かけて一仕事終えたらちょうど時分どき。
大正大学の「鴨台食堂(おうだいじきどう)」?にも食指が動きましたが、諸般の事情で地蔵通りの中ほどにある「ときわ食堂」でランチ

懐具合の乏しい学生時代、学食には随分お世話になりましたが、街中の「食堂=定食屋」では、池袋の『大戸屋』と 巣鴨の『ときわ食堂』が双璧でした。
一方の大戸屋は、最近は随分小綺麗になって、国内だけでも300か所以上、女性の一人客でも抵抗なく入れるようになりましたが、その点「ときわ食堂」は いい意味で旧態依然とした 外からもよく見えて、若い女性は入るのをチョッと躊躇うくらいの昔ながらのスタイルで営業しています

その「ときわ食堂」で今日いただいたのが 兵庫県播磨灘産の“1年牡蠣”を使ったカキフライ


牡蠣と云えば、仙台や志摩半島の的矢湾に 広島あたりが有名ですが、播磨灘は先日このブログでも書いた石巻(長面浦の牡蠣)もそうですが、付近の山から流れ込む豊富な栄養のおかげで、普通出荷までに2~3年かかるところを1年で出荷されるので“1年牡蠣”と呼ばれているそうです。
また、加熱しても縮みにくい特色があって、生の状態とほぼ同じサイズを維持できるため、食べ応えも十分

熱々のところに サ~~~っとソースをかけて、、、


軽くレモンを絞って 美味しくいただきました


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巣鴨大鳥神社の酉の市

今日11月10日は一の酉。
浅草の鷲神社と隣の長國寺なんかは一緒になって「市」を盛り上げていますが、「酉の市」の由来については、神道と仏教双方からそれぞれ異なった説があるようです。

普段、これといった信仰心のない私でも、「お酉さま」と聞くと何となく師走の風が冷たくなってきた頃に、この一年の無病息災を感謝し、来年もいい年であるように、「神頼み」したくなってくる時季ですよね
まぁ個人的には、神仏におすがりするというより、その後の精進落しがお目当てのようなところもなくはないですが…

さて、今日は午前中、巣鴨の方に用事で出かけたので、昼休みに巣鴨の大鳥神社に寄ってきました。
まだ陽が高い時間ですので、屋台など盛り上がるには早い時間でしたが、好天に恵まれてお孫さん連れのお年寄りなどで結構な人出。







我が家用に、縁起物の熊手を一つ買ってきました。

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人形町から佃まで、、、  お昼は ビフかつれつ@そよいち

今日・立冬の東京は晴れ  
いまは金曜日がお休みなので、行列のできるので有名な日本橋室町の天丼屋さんへ開店時刻よりチョッと前にいったのですが、ン十人の大行列を目にして、、、「こちとら江戸っ子でぇぃ(私で三代目)。天丼なんて並んでまで食うもんじゃねぇやい」と負け惜しみをいいながら、日本橋がダメなら人形町があるさと、甘酒横丁あたりを目指してテクテク

甘酒横丁の界隈は古くからのお店も多く、こちらの喫茶店は大正8年(1919年)の創業

看板にある『喫茶去(きっさこ)』とは 禅の言葉で『お茶を一服如何ですか』というような意味で「去は強調の助辞」のこととものの本にありますが、中国は唐代の禅僧・趙州の禅問答に出てくる言葉で、貧富貴賤の別なく無心に客に茶を供する心を述べているそうです。

にぎやかな表通りから一本裏手を歩いてみたら目に入った「ビフかつれつ 下町の洋食や 目の前でお作りします」ののぼりに惹かれて角を曲がった先の こじんまりとした白木のカウンターの洋食屋さん「そよいち」
「看板」の「ビーフカツ・ハーフ」をお願いしました

向かいのビルの反射光がスポットライトみたい

さっくり揚がった薄めの衣の中は 中心はほんのりピンクの関東では少数派のビフかつ
カウンター上にはマスタードの他に、ウスター、中濃、醤油に塩と選べるのもいいですね
お値段も安くはないですが、味はなかなかのもの。 家に帰ってネットで調べてみたら、どういう事情かは分かりませんが、人形町の老舗洋食屋さんで有名な「〇ラク」の料理を作っていたおばさんやスタッフ全員が2008年開店の今のそよいち(旧店名「そときち」)に移ったとか。。。
ちなみに田崎真也さんが、人形町の洋食の店として「絶賛」していたのは、この旧メンバーがいらした頃だそうです。

人形町から甘酒横丁を冷やかしながら浜町公園から堤防を越え、隅田川に沿って川岸をテクテク

新大橋の下を観光船が通っていきます。 隅田川もずいぶん綺麗になったもんですね~

少し下ったところに ないやら怪しげなランチが2艘…


日本橋消防署浜町出張所の消防艇でした
遠くに スカイツリーが見えます

さらに下ったところに架かる「清洲橋」
関東大震災の震災復興事業として、永代橋と共に計画された橋で、ケルンにあった大吊り橋をモデルにした優美な曲線です

上を首都高9号深川線とともに架かる隅田川大橋の下から下流を見ると、永代橋の先に見える石川島・大川端リバーサイドの高層住宅群

民間で日本初の洋式造船所がつくられた石川島は、昔は佃島とは独立した島でしたが、伊能忠敬江戸実測図(1817年)では一体となっており、かつての造船所跡は高層住宅群となっていますが、川一つ隔てた越中島では化学物質による土壌汚染が建替え工事に伴って撒き散らされたと 住民が公害調整委に申し立てを行っているとのニュースもあります。

さて 川の上流の方から石川島へと渡る橋が「中央大橋」

橋の中ほどから上流を振り返ると 永代橋の向こうにスカイツリーが綺麗です

リバーサイドの高層住宅群を抜けるとそこは昔ながらの月島の住宅街

路地で見上げると 洗濯ものが空を覆っています

佃島の守り神 住吉神社の界隈は、大川端リバーサイドから来ると、時間が止まったようでした










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下賀茂神社にて

今日は立冬。東京は気持ちよく晴れ渡って、洗濯ものの乾きも良さそうです
『暦便覧』には「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」とされていますが、昨今の温暖化=暖冬傾向の中では、少々違和感を覚えます。 そういえば、九十九里浜や富山湾にトドが現れたり、浦河港に大量のイワシが打ち上げられたりするのも、温暖化による海流の変化なのかもしれませんね

こちらは、先月お伊勢さんから回った 京都の『糺の森』

紅葉は まだ先ですが、陽射しの中 青紅葉が綺麗でした

糺の森のある下鴨神社では、現在21年に一度の「式年遷宮」のため、社殿の改修が行われています。
一般に「式年遷宮」とは、神体を除く全ての建物を新しくする「宮移し」で、下鴨さんでも中世から近世にかけて、時として飢饉や戦乱で見送られることはあったそうですが、営々と続けられてきた行事です。
しかし現在は本殿の2棟は国宝、他の50数棟の社殿も重文に指定されているため、全てを新しくすることはできないので、「傷んだところを直す」という形で行われていると説明書きがありました。
最近は伝統的建築物の修理でも、足場などは鉄パイプで組むことが多いようですが、下鴨神社の現場では、杉丸太を番線で締めて組み上げる昔ながらの足場と仮囲いで作業が行われていました。

こちらは毎年5月3日に流鏑馬の行われる「糺の森」の馬車体験

そばでニンジンも売られていましたが、馬が頑張って稼いでくれたお金は遷宮の費用に充てられるのかな??
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