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京都散歩 正面通り~任天堂 旧本社ビル

先週の土曜日(14日)、耳塚をあとに正面通りを西に向かって、鴨川から高瀬川を渡ったところに建つタイル張りのモダンなビルが目に留まりました。


近寄って銘板をみると、右から「山内任天堂」の文字

左側のプレートは英語表記

あとで調べてみたら、家庭用ゲーム機で有名なNintendoの創業者・山内房治郎が、1889年(明治22年)9月に買い取り、「任天堂骨牌」として花札の製造販売を始めた創業の地です。

京都の穴場を紹介している「トコトコト」の頁には・・・
山内は花札だけではなくトランプの製造も始め、これを旧知だった「明治の煙草王」こと村井吉兵衛の協力で日本専売公社と交渉しタバコ流通網での花札&トランプ販売を開始、山内が隠居する頃には日本一のカード会社となりました。そして2代目社長が「合名会社山内任天堂」と「株式会社丸福」を設立して現在の任天堂へとつながっていく基盤を確実なものにしていきました。そしてファミリーコンピュータの大ヒットで家庭用テレビゲーム機メーカーとしての地位を不動にしました。
とありましたが、それを見てピンと来たのが、以前写真に撮った「関西テーラー&東山IVY←クリック
2006年の時点では「短期滞在型賃貸住宅」として再利用されている東山IVY。そばの碑には『たばこ製造工場発祥之地』とあります。
『明治23年に村井吉兵衛わが国初めて両切紙巻きタバコを製造。同32年米国タバコ会社と合同して村井兄弟商会を設立し、その名声は世界のタバコ商として知られる。 
明治37年煙草専売法の実施により国営となり建物は専売局専売公社の京都工場となり村井の技術が大いに役立つ』と…

100年ほど前の19世紀末か20世紀の初頭に Nintendoの創業者・山内房治郎とたばこ王・村井吉兵衛が、この界隈で会っていたんですかね~
そういえば、昔 街角の煙草屋さんのショーケースに ハイライトやピースと並んで花札があったのを思い出しました

さて 任天堂の旧本社ビル、建物右手の通りに面した窓には 屋号の〇福と千鳥?の意匠の格子が嵌って、2階の明り取りにもモダンな意匠が施されています。





今は倉庫代わりになっているようで、奥には「廃棄」と書かれた段ボール…


モダンな建物だけに チョッピリ寂しいですね


近くに鴨川があるせいか、奥の3階部分の屋根にアオサギが睨みを利かせていたのが印象的でした

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