江別創造舎

地域文化振興活動・江別カルタ制作

石狩川改修工事

2019年08月11日 | 歴史・文化

 水害の悩みは、大正期に入っても変わりませんでした。

 大正2年(1913年)8月下旬の「野幌市街の鉄道向側等は路上一面水の瀬をなし 広島街道関谷孫左衛門方面小倉商店付近は浸水3尺に及び 広島街道の原中は斜 橋付近より江別に至る一里余の間 一帯に出水通行壮絶有様にて」(大正2年9月2日付北海タイムス)からはじまり、8年5月、9年8月、10年3月、11年5月、同8月、12年5月、同8月などと、大小はあれ、ほぼ連年、春秋の水に打撃されました。

 こうした連年の水害を沿岸町村民が拱手し傍観していたわけではありません。
3年1月、札幌・豊平館に江別など月形下流13村の有志が集まり、石狩川放水路速成同盟会が結成されました。
目的は、第一旗北海道拓殖計画(明治43年〜大正15年)の柱の一つ、石狩川治水工事の早期着工を当局に迫るためです。

 明治43年に道庁内に石狩川治水事務所(所長・岡崎文吉)を設け、石狩・花畔に工場を設置したものの、実際の工事には見るべきものはありませんでした。
『江別河川事業所史」によると、国の財政難のため大正6年までの年平均事業費は5万円にも満たしていませんでした。
そのため、工場では、細々と単床ブロックを造り、付近の茨戸周辺護岸を約6900メートルほど実施したにすぎません。
肝心要の月形周辺流域は手付かずのまま、先の見通しも確かなものはありませんでした。



註 :江別市総務部「新江別市史」239頁.
写真:石狩川




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