江別創造舎

地域文化振興活動・江別カルタ制作

物資の集散

2019年04月13日 | 歴史・文化

 江別駅周辺を中心とした江別市街地は、木材などの集散地として知られていました。 

 内陸の開拓の進捗や日清戦争、日露戦争と共に、江別港(船着場、現三条一丁目千歳川左岸)周辺は、軍に納入する燕麦などを出荷する人馬で活況を呈していました。
 特に、倉庫付近は、夜明けと共に喧噪の日々が続きました。
そのため、市街地の料理屋や一杯屋の賑わいもひと通りではありませんでした。

 江別駅から貨車積みで札幌方面へ送られた農産物、木材などこれらの産物を荷積みした馬車、馬橇が川沿いの一丁目通り(通称・会社通)に蝟集し、順次停車場通へと列をなしていく光景が眼前にありました。
 また、農産物もさることながら、枕木を含めた木材の貨物台数が圧倒的でした。

 「石狩川江別川当別川等ヲ 雑穀其他貨物ノ漕送ニ便ス又上流地方ヨリ角材枕木等ヲ漕送シ来リテ当地ニ陸揚ケシ 更ニ之ヲ各地ニ搬出ス 其額実ニ莫大ナリ 要スルニ江別太ハ水陸交通ノ要衝ヲ占ムル点ニ於テハ 石狩大原野中第一ニ位スルヲ以テ之ニ対スル経営施設ノ宜シキヲ得ハ 将来益々発達センコト疑ナカルヘシ」(『北海道殖民状況報文』)。
 当時の江別港は、街の生命線といっても過言ではありませんでした。

 もっとも、村内農家は、舟運などに頼っていませんでした。
各自が、直接馬車、馬橇で一丁目通に持ち込んでいたのです。
ちなみに、明治32年12月現在の調査によれば、江別、対雁(ついしかり)、篠津の3村合わせて一頭立荷馬車の数は、146台、荷馬橇230台でした。
 これらの大半は、自家の農産物などを出荷する農家の運搬の用を成していました。


註 :江別市総務部「新江別市史」208-209頁.
写真:国内3番目開通江別駅界隈
   同上書184頁掲載写真4-1を複写・掲載いたしております。


 

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