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野幌煉瓦工場

2009年01月07日 | 歴史・文化
 明治45(1912)年、野幌煉瓦工場の製造量は、495万個でしたが、大正5(1916)年には838万個に上昇し、同8年811万個でした。
 この間、大野煉瓦工場、岩田煉瓦工場が創業しました。
 
 この頃より、煉瓦工場は、近代化が進みました。
北炭野幌煉瓦工場では、大正元(1912)年以降、のぼり窯を薪焚から石炭焚き改築しました。舘脇煉瓦では、同4年にホフマン窯を導入、同8年には倒焰式角窯を設置しました。後発の岩田煉瓦においても松下式土練機や製管機を導入し、増産に拍車をかけました。
『江別第二小学校沿革史』によると、「大正7年度ニ於ケル学級増加ハ 欧州戦乱ノ影響ニ伴ヒ 各煉瓦工場事業拡張ノ結果 一時的ノ児童数増加ヨリ来リシ」云々と、企せずして、この間の窯業界の活況を伝えています。

 しかし、それも長く続きませんでした。
大戦後の経済界の不調が著しくなる9年以降の生産レベルは、明治末期の不況時代の水準まで落ちました。そして、昭和初期における生産量は、年平均300万個の低い水準で推移しました。
生産の低迷が招来したのは、多くの失業者であり、これが深刻な社会問題となりました。

(参考)当ブログ2009年 1月 6日(水)「北海道製麻会社創立」
    当ブログ2008年11月 3日(月)「野幌市街地」
    当ブログ2008年10月30日(木)「のぼり窯と野幌」

註:江別市総務部「新江別市史」234-235頁.
写真:ガラス工芸館
   北海道江別市野幌代々木町53番地
   ガラス工芸館については、下記をご覧ください。
http://www.city.ebetsu.hokkaido.jp/kyouiku/koukyosisetu/garasu/garasu.html
  
ジャンル:
文化
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