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治水期成会発足

2019年08月09日 | 歴史・文化

 明治32(1899)年1月10日、月形、石狩、江別などの有志者56名が江別戸長役場に集まり、「石狩川治水期成会」を発足しました。

 明治31(1898)年9月、石狩川の氾濫は、利水中心の河川事業(運河の開削、流・埋木の除去など)から、本格的な治水事業への転換の契機となりました。
 この明治31年の水害は、今日なお本道の水害史、治水史の劈頭で語られる最大規模の水害でした。

 この氾濫の後の同年10月、北海道庁は、「北海道治水調査会」を発足させました。そして、翌年5月から三ヶ月に渡り、「石狩川治水呼び調査」(主任調査官 岡崎文吉)に着手しました。

 明治32(19899)年1月10日、月形(つきかた)、石狩、江別などの有志者56名が江別戸長役場に集まり、「石狩川治水期成会」を発足したのです。会長には、大河原文蔵(江別)が推薦されました。当会は、活発な陳情活動などを通し治水事業の促進を図ることを目的としていました。

 しかし、治水工事は遅々として進みませんでした。
かくするうち、明治37(1904)年には、洪水が2回街を襲いました。1回目は、6月29日から7月1日まで、2回目は7月9日から同14日まで続きました。

 対雁(ついしかり)、篠津(しのつ)、豊幌(とよほろ)などの過半が冠水し、救助船延45艘が出され、江別、対雁、篠津の各小学校に避難民を収容、これらの炊き出しは1,317名を数えました。この時の江別の被害の大きさは、「凶作ニ次クニ 稀有ノ大水害ニ罹リタル為メ 転出シタルニ依ル」(「戸口取調書」明治38年)云々と、一時的とはいえ人口の減少をもたらしたことからも推し量ることができます。

(参考)
  時期        種別 被害額    被害状況
明治31年9月 6日~9月8日 台風 213億円 全道で被害大。死者248名
明治37年6月29日~7月1日
    7月9日~7月10日 台風 512億円 石狩・後志・胆振地方の諸河川氾濫



註 :江別市総務部「新江別市史」238-239頁.
写真:石狩川


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