江別創造舎

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ツイシカリ泊小屋2

2018年03月14日 | 歴史・文化

 田草川は、10月10日の朝五時ごろ石狩を出発し、夜9時過ぎにツイシカリに着き、一泊しています。
ちょうど鮭漁の季節で、川口よりサッポロまでの間には所々に鮭小屋があって、100里余りも離れた所からアイヌが集まり、秋味を積みだしたあとも帰らず、自分たちの食用に鮭を獲り干鮭にしていました。

 ツイシカリの泊小屋については、「誠之小屋也」とあり、前年、東甯が宿した時の「たゞ雨露しのぐのみ」とは、かなり異なった印象を記しています。
 泊小屋が新たに建て替えられたのでしょうか。

 ところで、遠山・村垣と田草川の記述を合わせてみると、ツイシカリの泊小屋は、ツイシカリ川口から石狩川を14町、15町ほど川上の左側(シノツ側)にあったらしいです。
40年程のちの松浦武四郎『再航蝦夷日誌』には、「ツイシカリと申は、是なり一里も上、左の方ニ元来有し由を、20年計前ニ此処ニ引移せし」と、文政9年(1826年)頃、ツイシカリの番屋がシノツからツイシカリ川口に移ったと記されています。
 この「元来有し」番屋が田草川らが泊まった「泊小屋」と同じ所にあったかどうかは分からないが、文化・文政年間のツイシカリ場所の中心はシノツ側にあったようです。

 文化4年には、もう一つツイシカリに関して興味深い記録があります。
幕府の御雇医師舘野瑞元の紀行文で、舘野はこの年の7月、ユウフツからシコツ越えを逆のルートで石狩川に出て、ツイシカリに立ち寄っています。
ツイシカリではたくさんの獣や魚類が集められ、解体処理さている様子が記されています。

  
  6日、イシヤリブトを発す。日あたたかにして風静かなり。
  8里ばかりを一時に舟行してイシカリ川に至る。
  蝦夷第一大川なり。川巾60丈ほどより百丈余に及ぶとふ。
  ここにて鯡、鱒、鮭をおびただしく漁するとぞ。
  此川両岸山もなく、樹木もなし。
  東岸にしたたかひてツイシカリに至る。
  獣魚などを屠(ほふり)たる頭尾腸胃所狭きまでに取散らしたるさま、
  川西氏が詞にまさりたるほどに覚ゆ。(『蝦夷紀行』)


註 :江別市総務部「新江別市史」91-92頁.

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