江別創造舎

地域文化振興活動・江別カルタ制作

旅宿と飲食店

2019年03月04日 | 歴史・文化

 江別市街に工夫、人夫が蝟集し、加えて舟運の発達に伴う人々の往来の激しさは、商業の発展、なかでも旅人宿と飲食店を活気づけました。

 旅人宿は、明治20(1887)年に7戸を数え、その他に「其有様公然たる娼妓的に似たりしか」(明治20年8月9日付北海道毎日新聞)というから、いわゆる売春婦宿のようなものだろう。それが、5戸もあったといいます。

 当時の「旅人宿営業取締細則」をみると、「濫リニ 金銭ヲ費フモノアルトキハ 手段ヲ以て留置キ 警察官ニ密告スヘシ」(第七条)。
「売淫に類する猥褻ノ所業ヲ為スヘカラス」(第十三条)などと、定住者以外の人々の往来が繁かったためであろう。公安上、衛生上の問題に神経を尖らせていたことが伺えます。
 また、幌内鉄道の開通、おっかけ石狩川の舟運が始まるこの時期、江別は月形方面など内陸を踏査見分する植民事業者などの足溜の場ともなっていました。

 汽車で江別駅に降り、ここの旅人宿で船の便を待つ。
そこは、様々な人生の光と陰を裡に秘めた人々の袖触れ合う場でもあったのです。

「日没後、江別旅店ニ投ス、店昨年モシバ~宿泊シタル家ナリ」(三島億次郎『第三回北遊記』明治20年6月22日)。

 かくして漸次、商店などの集積が進みました。
下記は、明治22(1889)年現在の状況です。

 旅人宿 六。五十集商(いさばや・魚屋)四。荒物商 七。湯屋 二。桶屋 二。飲食店 三。菓子商 三。鍛冶 一。和洋裁 一。小間物太物商 四。

 江別駅前を中心とした地域の市街化が目に立つようになるにつれ、種々の旅芸人などの往来も頻繁となりました。
「江別番外地にはこの頃手踊り子供芝居等の興行あり、随分賑ひし」(明治22年7月19日付北海道毎日新聞)。
この他に、うかれ節や軽技(かるわざ)もあったと予測されます。
また、ただ観るだけではなく、収穫の秋を前にした「盆踊り」も賑やかだったようです。
明治22年、江別の街は、既に今日の市街地の原型らしきものが、徐々に、徐々に形づけられつつありました。


註:江別市総務部「新江別市史」192-193頁参照
写真:江別市所在 創業90年老舗旅館 「龍門旅館】撮影
   龍門旅館については、下記をご覧ください。

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