江別創造舎

地域文化振興活動・江別カルタ制作

新水路

2019年08月13日 | 歴史・文化

 大正7年(1918年)に至り欧州大戦の好況の余慶を受けて、治水費も大幅な増額となりました。

 そのため、ようやく石狩川第1期治水工事で予定された生振・対雁間新水路の着工が決定しました。
さらに、翌8年の「第1期拓殖計画」の改訂拡張により、同9年度から夕張川新水路の着工が日程表に登りました。

 夕張川新水路は、最初の2ケ年は工事の準備に費やされ、11年から開削工事が始まりました。
蜿蜿羊腸の夕張川を上流37km付近(幌向村南15線零号)から幌向原野を一直線に横切り、江別町域の石狩川に結ぶ水路で、これにより流路は24kmも短縮されました。

 この工事は、昭和3年(1928年)に上下流間の堀削が完了、水路は貫通しました。
しかし、現地が泥炭地であるための激しい地震沈下、それに金融恐慌や満州事変などの国家的な困難(財政事情など)が加わり、完成は伸びに伸びました。
完工をみるのは、天皇が統監する陸軍特別大演習の直前、11年8月まで待たなければなりませんでした。

 一方、対雁新水路の開削は大正12年4月に始まりました。
これは、当時、石狩川は対雁から下流篠津方面に大きく湾曲していました。
その湾曲部を現在みるとおり直線化(ショートカット)し、5.9kmの流路を2.3kmに縮めようというものです。
狙いは、川の流速をはやめ、洪水を防ぎ、可耕地を広げる、治水と殖産の二面にありました。

 当該工事は、着工から11年後の昭和8年8月暫定断面で通水となりました。
11年もの歳月を要したのは、一つに流域きっての超軟弱地盤であったかといえば、「はるか向こうに人が歩いても、揺れるほどの地盤で、あたかも、こんにゃくの上に立っているようだ」(『石狩川治水小史」)と言っています。
 そのため、機械堀削に頼らずにおれなかったこと、さらに一つは、その頼みの浚渫船の都合から4年間も工事が中止されたのが響きました。



註 :江別市総務部「新江別市史」239-240頁.
写真:夕張シューパロダム工事の模様(H20年<2008年>視察時撮影)




コメント   この記事についてブログを書く
« 北海道開拓の村季節展示〜蚕... | トップ | 知ってびっくり⁈ナマズ展開催... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史・文化」カテゴリの最新記事