江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

縄文時代の土器

2009年03月28日 | 歴史・文化
 縄文時代は、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の6期に編年されます。

 最も古い草創期(1万3000年~1万年前頃)に位置づけられる土器は、昭和54(1979)年に、道央縦貫自動車道に伴う調査の際に江別市大麻1遺跡から出土しました。口縁部に撚り糸の圧痕が施された一個体分の土器で、最後までこの土器が草創期の可能性をもつ道内唯一の発見資料となりました。

 縄文土器とは、器面に縄目の文様が付いていることから名付けられたものです。
 縄文時代のすべての土器に縄目文様があるわけではありません。
早期(9,000~7,000年前頃)の前半には、貝殻を押し付けたり、引きずったりした文様の付いた土器が全道的に広がりました。ただし、北海道の東北部と西南部では底部の形が異なっています。北海道東北部の土器は平底で、西南部の土器は尖底でした。
江別では、大麻15・坊主山・吉井の沢1遺跡などで、道東北部と同じ平底の貝殻文土器が出土しています。

 土器に縄目文様が一般化するのは、早期後半になってからです。このころ、東釧路Ⅲ式・コッタロ式・中茶路式などと呼ばれる縄文・絡条体圧痕文(らくじょうたいあつこんもん)・組紐圧痕文などが施された平底土器が北海道全域に広がりました。


 この時期の竪穴住居跡が、大麻6遺跡で12軒見つかっています。大型のものは直径が8~9mの隅丸方形または多角形で、床面に10本前後の柱穴と中央部に炉穴、壁端に貯蔵穴様のピットをもち、壁際に幅1m程のベンチや周溝をもつものです。
 全道的には、集落遺跡として函館市中野B遺跡で600軒を超える貝殻文土器群期の住居跡が見つかっています。こうしたことから、既に、早期中葉には、定住化が進んでいたことが明らかになっています。

 江別では、早期後半の大麻6・13・15遺跡などの東釧路Ⅲ式の住居跡が最古といわれています。

(参考)当ブログ2009年3月28日(土)「縄文の土器ロビー展示のご案内」
    当ブログ2008年5月30日(金)「擦文土器」
    当ブログ2008年5月29日(木)「江別文化」
    当ブログ2008年5月27日(火)「江別市指定文化財 江別式土器」
http://blog-goo.ne.jp/ebetsusouzousha/d/20080527

註:江別市総務部「新江別市史」22-23ページ.
写真:江別式土器
  北海道江別市郷土資料館にて撮影許可を得て撮影掲載いたしております。

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 縄文の土器ロビー展示のご案内 | トップ | 人気ロボットと遊ぼう! »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (卍ドラゴン卍)
2010-04-30 16:56:36
はじめてしりましたー

コメントを投稿

歴史・文化」カテゴリの最新記事