江別創造舎

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知行制の転換

2017年12月07日 | 歴史・文化

 商場知行制は、知行主がアイヌとの交易品を松前にもって帰り、商人に売却することによって収益を得るというシステムです。

 しかし、直営店では手間がかかると同時に、地行地内の生産力が低下した場合などには、そのまま収入減に繋がってしまいます。そこで、知行地の経営一切を商人(主に近江商人)の裁量に任せ、知行主は商人から運上金を徴収することで、定収入を確保しようとする形になりました。
 これによって、知行地の名称も商場から運上場所、さらに単に場所と呼ばれるようになりました。こうした知行地経営の体制を場所請制といいます。

 正徳(1711-1716)から享保年代(1716-1736)には、既に場所請制への移行を示す記録が表れ始めました。

(一部省略)

 『松前蝦夷記』(享保2年)には、近年、蝦夷地が不漁のため産出物が少なく、派遣する交易船を減らしましたが、利益は減るばかりなので、知行主のなかには申し合わせて「寄合舩」(共同の交易船)を派遣したり、「商人舩に運上取、其場所相渡し申」す者も出てきたという記録があります。
 
 さらに、元文年間(1736-1741)に入ると、場所受制は藩主の直領を含めて全藩的規模に拡大し、『蝦夷商賈聞書』という記録が表れてきました。
 石狩の藩主以下13人の知行主名、アイヌが持ち込む産物、交易船の規模、運上金などについて具体的に記された興味深い史料です。
 知行主たちはいずれも運上金を設定して、商人に場所の経営を請け負わせており、「秋之商売」の運上金は三カ年で1400両が藩主に、「夏場所」(夏商)の運上金は16艘分が12人の知行主の船で、運上金は毎年異なっていると記されています。後の石狩十三場所の原形の出現といえます。

 本史料で注目されるのは、蝦夷地各地で生鮭・鮭塩引を産物としてあげる場所が非常に多くなっている点です。
干鮭の比重は相対的に低くなっており、場所請制の下、本州の需要に対応する形で鮭漁が新たな展開を見せ始めています。
 本史料による各地の鮭の産出量は、石狩川が2,800石、マシケ2,700石、トママイ2,700石がベスト3で、その他は志骨(しこつ:千歳)700石、与市(余市よいち)500石などとなっています。


註:江別市総務部「新江別市史」71-72頁.
写真:石狩川

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