江別創造舎

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実業家同行による北海道視察旅行

2008年10月04日 | 歴史・文化
 北海道三県一局は廃止され、北海道庁新設、長官岩村通俊が着任しましたが、新しい開拓政策の方向はすぐ明らかにされまわけではありませんでした。
 わずかに6月、北海道土地払下げ規則が公布されたぐらいでした。

 7月、岩村は上京して、在京の実業家たちに北地開拓の方針を諮問し、協力を要請しました。
関係した実業家には、澁澤栄一をはじめ、岩崎・原・大倉・安田・荘田らの名もありました。彼ら実業家からは、農産会社の設立・物産税廃止・函樽鉄道敷設・官業廃止などの意見が出されました。
 ついで、8月には、井上馨外相・山県有朋内相が北海道視察旅行を行いました。
この旅行は、婦人同伴で、益田孝・小室信夫・大倉喜八郎らの実業家や、外人教師マックス=フェスカが同行し、落語家三遊亭円朝も伴った大名旅行でした。この実業家を同伴したことに、北海道開拓の方向が暗示されているといってよいでしょう。

 当時、政府は北海道の実情をよく知りませんでした。北海道薩閥の背後に黒田があるとすれば、黒田に対抗しうる大物の視察が要請され、井上派遣ということになったのだといいます。
 井上・山県は帰京後、北海道巡視意見書を提出しました。前年の、金子の復命書に比べて大同小異ともいえますが、水産業関係、大農経営論などに特色がありました。水産関係については、根室在勤の道庁理事官浅羽靖(しずか)の意見が、かなり採用されているとみられます。金子や井上、実業家たちの意見の中から、次第に北海道開拓の方向が具体化してきたのです。

(参考)当ブログ10月 2日(木)「秩序を重んじた開拓行政」
    当ブログ10月 1日(水)「北海道三県分立制廃止」
    当ブログ 8月 7日(木)「北海道事業管理局の設置」
    当ブログ 7月19日(土)「北海道三県の諸事業分割」
    当ブログ 7月18日(金)「北海道三県の管轄区画と県庁の位置」
    当ブログ 7月15日(火)「北海道三県一局の成立」
    当ブログ 7月 9日(水)「開拓使官有物払下げ事件~開拓使廃止」

註:榎本守恵・君尹彦「北海道の歴史」154-155頁参照。
写真:「札幌農学校農学教室」"The Hall of Agronomy"(竣工:明治34(1901)年6月 設計: 中條精一郎/縮尺:1/40 作成平成12年(2000年)3月
   北海道大学総合博物館にて、撮影許可を得て掲載いたしております。

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