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1899年<明治2年>8月15日蝦夷地から北海道へ改称!

2019年08月15日 | 歴史・文化

 本年<2018年>北海道命名150年

 明治2(1869)年8月15日、蝦夷地が北海道と改称されました。

 ここから開拓使直轄地と兵部省、諸藩、華族、士族、寺院などによる北海道の分領支配時代が始まりました。分領としたのは、開拓使の財政基盤が脆いための緊急かつ暫定的な措置でありました。これは、2年間明治4(1871)年8月の「廃藩置県」まで続きました。
 なお、開拓使直轄地とは、札幌・上川・厚田・忍路・余市・根室など枢要の地で、江別もこれに含まれていました。また、兵部省も石狩・小樽・高島など要衝の他を占めていました。その他佐賀,山口、金沢、仙台など諸藩等が分領しましたが、この時代、開拓使と兵部省の激しい内訌により、開拓は軌道に乗る手前で足踏みとなってしまいました。

 明治2(1869)年、朝廷が「蝦夷地は皇国の北門」という認識のもとで、6月4日、中納言・議定(ぎじょう)・上局議長であった佐賀前藩主 鍋島直正を開拓督務として任命しました。開拓御用掛には、直正の命で幕末に蝦夷地を視察した島義勇(しまよしたけ)や幕末最大の蝦夷地探検家松浦武四郎らが就任しました。7月には、太政官(中央官庁)に開拓使が設置され、初代長官に飯島直正が就任しました。次官に清水谷公考・開拓判官に島義勇・岩村通俊(みちとし)・岡本監輔(けんすけ)・松本十郎・竹田信順(のぶより)が任命されました。開拓使は、芝の増上寺(ぞうじょうじ)に設けられました。

 8月15日、松浦武四郎の原案を基にして、蝦夷地を北海道とあらため、11カ国に分けて86都を置くことになったのです。
この11カ国とは、「渡島(おしま)・後志(しりべし)・石狩(いしかり)・胆振(いぶり)・日高(ひだか)・天塩(てしお)・十勝(とかち)・釧路(くしろ)・根室(ねむろ)・北見(きたみ)・千島(ちしま)」です。
 ただ、この11カ国の国分は、実質何も意味をなすものではなかったようです。北蝦夷地と呼ばれるカラフトは、樺太・柯太・唐太などと書かれていましたが、この時、樺太を公称することになりました。
 なお、8月25日、鍋島直正は一度も北海道の土を踏むことなく辞任し、東久世通禧(ひがしくせみちとみ)が長官となりました。



註 :「新江別市史」榎本守恵他1名著・「北海道の歴史」参照。
写真: 元禄御国絵図 <北海道大学付属図書館所蔵>」
   同上書67頁図2-4元禄御国絵図<北海道大学付属図書館所蔵>」を複写・掲載いたしております。

 


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