江別市議会選挙は、6人のうち5人が当選しました。
しかも選挙費用は法廷費用の半分、手弁当による住民中心の選挙運動が全道的に関心を呼ぶおまけつまでつきました。
大麻(おおあさ)沢町の元道職員大場孝は、『会が中心になって、看板を立てたり、チラシも合同でやると安くつくと。それにボランティアの奥さん方が買い物に行くついでに自分の住区に配布したり、貼付けてくれました。最初は、車を使わない申合せでした。ところが、江別、野幌地区の候補者が車でどんどん団地に入ってきて、みんな不安になったんです。それで私は1日1回車で二乗りました。それでも、一度も車を使わな図、自分の住区だけ歩いて回った人が2人いました。』
議会に進出した団地党は、新会派誰もが住みたくなる会を結成、精力的な活動を展開しました。
昭和46年6月以降、一般質問等においてそれぞれの議員が団地の環境整備を中心に市理事者を質すことになりましたが、それらは当時の大麻(おおあさ)団地が当面していた諸問題を浮き彫りにしました。
主な項目は、次のとおりでした。
・札幌市へ抜ける大麻(おおあさ)の道路整備と除雪(46.6)
・道々大麻(おおあさ)ー雁来間の道路整備
・国道12号から団地に入る一番通りの整備
・大麻(おおあさ)公民館の建設(以上46.9)
・循環バスの運行(47.3)
・地下鉄の誘致
・三番通りの拡幅
・大麻中央公園の整備
・高層住宅に係わる消防行政(以上47.6)
・大麻(おおあさ)宮町幼稚園用地
・大麻(おおあさ)体育館の建設
・大麻(おおあさ)生協問題(以上47.9)
・大麻(おおあさ)公民館の建設計画(47.12)
(中略)
以降、団地党は、地域の諸問題解決に議会活動を続けることになりましたが、その母体となった江別市を建設する会は、皮肉なことに事実上空中分解しました。
団地内の票割りが崩れ、候補者1人を落としたことが尾を引いたのでした。
そのため、理想選挙として全道的に注目を浴びた団地党も自然消滅、その後各人の後援会主体の選挙となっていきました。
註:江別市総務部「えべつ昭和史」282-283頁.
写真:昭和42年11月国道12号と国鉄函館本線の下をくぐり抜ける大麻(おおあさ)地下道
同上書273頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。
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