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商況と質屋

2019年03月13日 | 歴史・文化

 江別外2カ村戸長役場から、札幌外9郡役所第一課宛に「商業日ヲ追テ盛ナリ」と現況報告がなされたのは、明治27年(1894年)1月11日のことです。

 同調査による市街地の商業者数は約50戸、主なものとして、近傍村落を含めた人びとへの日用品を扱う小売商、それに農産物、林産物の仲買などです。
 また、明治27年2月刊の『北海道実業人名録』所載の江別村実業人名として次の商業者が挙げられます。

 菓子商・(十松丸巳之助・呉服太物商)、沢谷富蔵・荒物小間物商、加藤外吉・荒物雑穀商、井口善九郎・荒物雑穀商、田中又七・荒物雑穀商、福 利七・雑穀買入所・堀井支店・旅人宿、松本ミエ・旅人宿・質商・湯屋業、山本順吉・旅人宿・汽船乗客貨物取扱・鉄道貨物・共同運送組江別取扱所。根本助吉、諸国種物商、岩渕忠太郎

 数年後の明治30年度営業税1人別表によれば、高額納税者として大河原文蔵、井口善九郎、柳町久造、福山米吉、沢谷富造らの名がみえ、前出の実業人名録と合わせると、当時の江別村の商工界勢力図が仄見えると言えます。

 30年大火後の復旧整備が終わった33年市街地は、およそ200戸の民家などが軒を連ねていました。
小売商が100余り、旅館6、古物商5、同漕店1、質屋1、貸座敷2、などです。

 街区の規模に比し、旅館の数が多いのが目を引きますが、ここが物流等の要衝であったからに他なりません。

 小売業や仲買商の主な取引先は、①小樽、②札幌、③月形、当別、石狩川沿岸の各地、④長沼付近各村、でした。
そのうち、小樽との取引は、穀物類や荒物など、札幌は呉服太物、雑貨類の仕込みが主です。
これらの品物を上記の石狩川沿岸の各村や、千歳川沿岸の各村へ届けて商いをします。
それが、当時の典型的な商形態です。
 なお、この場合、商人たちは、あらかじめ沿岸農家の求めに応じて米穀、太物、雑貨などを仕入れて届けます。
決済の方法は、農家の収穫物を引き取る、が一般的でした。

 当時、江別にはまだ金融機関の窓口はなく、対物信用による質屋がそれを担っていました。
33年の質屋1というのは、山田源平の経営するもので、30年2月現在の貸付口数269、貸付現在高293円43銭です。
利用者は、小商工業者や工夫人夫などが多かったと思われます。以降、質屋業は大きく伸びました。

 44年には、貸付6,285件、78,872円、うち受戻5,225件、8,044円、流し高838件、1,262円を記録しました、
また、この年の産業統計によると、質屋3の他に金銭貸付業(高利貸付)が3とあり、金融需要が活発化する一方において、金融逼迫も目立つようになりました。

 それに30年、北海道毎日新聞売捌(川村新八)が、36年北海タイムス取次店(笹原竜松)が開業しました。
また、34年度北海道地方税営業税推進税賦課に関する等級において、江別市街地は2等級(1等級は札幌区、函館区、小樽区)に指定されます。

 これらも街区形成の商業発展の、度合を計る一つの指標と言えるでしょう。


註 :江別市総務部「新江別市史」193-195頁.
写真:笹原新聞店
 同上書写真4-2笹原新聞展<北海道タイムス取次店>を複写・掲載いたしております。



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