江別創造舎

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千歳座の始業

2019年03月17日 | 歴史・文化

 演劇興業中、8月の興行主は、江別町15 樺沢忠蔵です。
これが、平成元年(1989年)3月まで約90年間続いた千歳座(5条5丁目)の始業と思われます。

 現在千歳座(館)の名を逆のぼり見出せるのは、明治31年(1898年)9月11日の北海道毎日新聞までです。
おそらく、始業は30年か、20年代末と考えても間違いありません。
そして、開業まもなく、千歳座(館)と命名されました。

 32年の千歳座(館)の興行内容をみると、演劇が中心ですが、そのほか浪花節、音曲、手桶、軽業などのほか、女力士などという、いわば際物的な見せ物も少なくありません。
折柄なので触れておきますが、活動写真(映画)が千歳座にかかるのは、大正の初頭です。
しかも、年に1、2回程度です。
これが映画産業の活況とともに上映回数も増えていきました。
やがて正月やお盆の楽しみは映画鑑賞となりました。
「活動写真を観に行く。大入り満員で大混乱です。入場券買うに弱った。ようやく、入場したる時は嬉しかった。」(大正9年1月2日『脇豊勝日記』)。
街中を旗を立て、クラリネットを吹きながら客呼びの楽隊がいきました。クラリネットは風に乗り、夜なべ仕事に余念のない農民の耳にも届きました。

 自宅兼用の小さな寄せ場の中から千歳座(館)という専用の劇場が誕生しました。
その後も群小の寄せ場はあり続けましたが、その中心に千歳座(館)がありました。
そして、同館は、この街の老若男女や出稼ぎの人夫、水夫などの男たち女たちに、その日の慰めと、明日の力の糧を提供し続けました。

 また、千歳座(館)は、まだ市民会館も公民館もないこの時代の、全村的規模の催しの会場ともなりました。
例えば、32年3月には奥羽地方の飢餓問題慈善演芸会を開催しています。
これら各種の催しの会場になったであろうことは、想像に難くありません。
40年6月、改築竣工しました。
収容人員500余名という大劇場に生まれ変わりました。


註 :江別市総務部「新江別市史」196-197頁.
写真:千歳座
   江別青年会議所「写真集えべつー風のまちの歴史」1982年,19頁「千歳座」撮影掲載いたしております。


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