江別創造舎

地域文化振興活動・江別カルタ制作

対雁街道

2018年06月11日 | 歴史・文化

  北海道の夜明け、開拓使が最も重要かつ緊急の課題としたのは、幹線道路の開削と改修でした。

 まずは、(1)奥地に通ずる幹線道路の整備、(2)幹線道路と併行する全道一周郵便路の完成、を目指しました。
 明治5(1872)年8月、札幌・偕楽園から雁来を通り対雁(ついしかり)に至る対雁街道が完成、対雁から札幌への陸路第一号となりました。
ついで、同9年、対雁からエベツブトに至る二間道路が整備されました。以下、直接対雁に関係するものに限ると、同11年8月に対雁と江別の村境モショケ川から東へ、同年入地の江別屯田の中央を抜ける江別兵村新道ができました。
 そして、翌12年には石狩川を挟んだ東対岸シノツブトへ官設渡船が設けられ、更に13年6月、シノツブトから当別を結ぶ仮説対雁街道が開通しました。

 当別とシノツブトの間の対雁街道は、当別の伊達邦直の強い要望で実現しました。
当別に入植の移民は、それまで石狩経由で出札していましたが、対雁経由の方が距離も時間も大幅に短縮されるため、開拓使に出願し、実現にこぎつけました。
明治17年、篠路から石狩川左岸沿いに対雁に至る道路が通じました。
これは、篠路を経て石狩と結ぶもので、当時の生活上、あるいは産品流通上不可欠なものでした。



註 :江別市総務部「新江別市史」123-124頁.
写真:対雁駅逓所跡の松
 同上書125頁掲載写真3-3を複写・掲載いたしております。

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