江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

屯田兵移住のみちのり

2010年05月30日 | 歴史・文化
 屯田兵の移住は、「厚キ保護」を受けたといはいえ一大決心でした。

 祖先伝来の孜々営々(ししえいえい)として築き上げてきた人と土地の関係を断ち切り、未知の地にダイビングするぎりぎりの選択でした。
 その移住までの道筋の大略は次のとおりです。
1.召募地域に公示し、希望者を募りました。
2.応募者の適否を決定し、
3.春に合格者に通知され、
4.当日集まった希望者を船で上陸地に運ぶ
5.上陸地で入地場所や家屋が決定され、
6.それに基づき隊が編成され、
7.集団で現地に入るました。

 屯田兵移住者心得は、まるで幼児を諭すような文言が続きました。
出発前の心得では、家屋敷を売り払い、背水の陣をひくように求めました。
そして、荷物については1戸に付8個以内、総重量は72貫まで、などです。
 乗船場及び乗船の心得では、船室は各県別に分かれ、病気になると医者に申し出る、子どもを甲板に出さない、などが記されていました。

 次に、明治18(1885)年7月入地の野幌屯田の移住の道のりをみていきましょう。
 石川、鳥取、佐賀、熊本、鹿児島の5県138戸が、佐渡丸にて小樽港に入ったのは、6月30日です。
 小樽で一泊し、そこで兵屋の番号くじを引きました。
 翌7月1日、幌内鉄道の運炭用無蓋貨車で手宮から江別駅(註野幌駅は未開設)に到着しました。
 週番所(中隊本部)のある現江別小学校の近くに集合し、宣誓式に臨みました。続いて、幹部からこまごました事項の注意がなされました。

 「式が終わると、新兵たちは、家族と一緒にまた長い不規則な列になって、一里もある野幌第四中隊の兵屋に向かって歩き出しました。(中略)物をさえぎる密林はいよいよ深くなっていきました。その薄暗い道を通って、やがて新兵たちは、野幌兵村に到着しました。(中略)村道から見る兵屋は、幾抱えもある大木と熊笹の間からわずかに屋根の一部が見えるだけである」(『士族屯田兵』)。

(参考)
当ブログ2010年 5月29日(土)「屯田兵設置の目的」
当ブログ2010年 5月26日(水)「屯田兵の設置」
当ブログ2010年 5月24日(月)「集団帰還の前後」
当ブログ2010年 5月23日(日)「組合事業」
当ブログ2010年 5月20日(木)「共救組合設立」
当ブログ2010年 5月19日(水)「廃使置県・保護の打ち切り」
当ブログ2010年 5月15日(土)「海運の統一」
当ブログ2010年 5月13日(木)「石狩厚田の漁場」
当ブログ2010年 5月11日(火)「移民の保護と自立」
当ブログ2010年 5月10日(月)「小樽から対雁へ」
当ブログ2010年 5月 8日(土)「宗谷越冬と先遺隊」
当ブログ2010年 5月 7日(金)「日露樺太千島交換条約」
当ブログ2010年 4月30日(金)「対雁の市街地的発展から農村村形成」
当ブログ2010年 4月28日(水)「豊平川の流れ」
当ブログ2010年 4月27日(火)「幌内鉄道と村の衰退」
当ブログ2010年 4月22日(木)「函館・福山・江差」
当ブログ2010年 4月21日(水)「室蘭の状況」
当ブログ2010年 4月20日(火)「根室・釧路・厚岸の状況」
当ブログ2010年 4月19日(月)「小樽港の発展」
当ブログ2010年 4月18日(日)「札幌市街の発展」
当ブログ2010年 4月16日(金)「対雁駅逓所開設」
当ブログ2010年 4月15日(木)「対雁街道開設」
当ブログ2010年 4月14日(水)「ライマンが見た対雁」
当ブログ2010年 4月13日(火)「移民の挫折」
当ブログ2010年 4月12日(月)「最初の集団移民」
当ブログ2010年 4月11日(日)「従駕日録」
当ブログ2010年 4月10日(土)「開拓使の設置」
当ブログ2009年 7月29日(水)「大麻駅開設」
当ブログ2009年 6月30日(火)「夕張鉄道接続駅ー野幌駅」
当ブログ2009年 1月13日(火)「郵便業務の開始」
当ブログ2008年12月19日(金)「人力軌道」
当ブログ2008年11月 9日(日)「通信の発達」
当ブログ2008年11月 3日(月)「野幌市街地」
当ブログ2008年10月28日(火)「野幌駅の開業」
当ブログ2008年10月17日(金)「北海道炭礦鉄道会社から北海道鉄道株式会社へ改称」
当ブログ2008年10月 3日(金)「江別市章制定と江別市民憲章」
当ブログ2008年 9月11日(木)「最初の機関車 義経号.弁慶号」
当ブログ2008年 9月 3日(水)「要衝 江別港」
当ブログ2008年 8月 1日(金)「上川丸の就航」
当ブログ2008年 7月21日(月)「江別村商家」
当ブログ2008年 7月19日(土)「北海道三県の諸事業分割」
当ブログ2008年 7月10日(木)「空知集治監の開設」
当ブログ2008年 7月 5日(土)「対雁郵便局から江別郵便局へ」
当ブログ2008年 7月 4日(金)「駅逓所開設」
当ブログ2008年 7月 3日(木)「教頭頭取兼顧問ケプロンの北海道開拓」
当ブログ2008年 7月 2日(水)「札幌ー対雁ー江別ー岩見沢道路開通」
当ブログ2008年 7月 1日(火)「榎本武揚 顕彰碑騎馬像」
当ブログ2008年 6月30日(月)「江別最初の学校ー対雁学校」
当ブログ2008年 6月28日(土)「対雁学校の教育」
当ブログ2008年 6月26日(木)「移民扶助規則2」
当ブログ2008年 6月24日(火)「石狩川沿岸」
当ブログ2008年 6月23日(月)「北越殖民社の開拓」
当ブログ2008年 6月22日(日)「国内3番目に開通した幌内鉄道ー江別駅の誕生」
当ブログ2008年 6月20日(金)「移民扶助規則設定」
当ブログ2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
当ブログ2008年 6月19日(木)「飛騨屋と石狩山伐木」
当ブログ2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
当ブログ2008年 6月12日(木)「村名選定ー江別村」
当ブログ2008年 6月11日(水)「江別屯田兵入地」
当ブログ2008年 6月10日(火)「地名解」
当ブログ2008年 6月 9日(月)「場所請負制の成立」
当ブログ2008年 6月 7日(土)「元禄御国絵図」
当ブログ2008年 6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」

註:江別市総務部「新江別市史」145-146頁.
写真:北海道指定文化財野幌屯田兵第二中隊本部
 江別市野幌代々木町38

コメント
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