e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

お初大神の提灯

2011年02月10日 | 薀蓄
大阪ミナミ・法善寺境内で見かけた「お初天神」の提灯。
たしか・・・
近松門左衛門『曾根崎心中』の「お初天神」は,こことちごたはず・・・
場所が「曾根崎」やもんなぁ~
よう見ると,提灯の文字は「お初大神」やった。

「誰が告ぐるとは曽根崎の森の下風音に聞え。
取伝へ貴賤群集の回向の種。 未来成仏疑ひなき恋の。
手本となりにけり。」

@露天神社と曽根崎心中
「曽根崎心中」は、元禄16年4月7日に起こった、堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が露天神社の「天神の森」にて情死した事件をもとに、近松門左衛門が劇化したものです。この作品は当時の人々の間で大評判となり、露天神社にも参脂回向の老若男女が大勢押しかけたといわれています。
広く民衆の涙を誘うこの作品はその後も繰返し上演され、今日でも回向とともに、恋の成就を願う多くの人々が訪れています。

ミサゴ鮨

2011年02月07日 | 野鳥・昆虫・野生動物
先月の伊勢・志摩への旅。
海辺を車で走っていると,電柱に2羽の白い色が目立つ猛禽を見かけた。
元日本野鳥の会会員の私は,ミサゴ?とすぐに識別した。
残念ながら,カメラを構えると2羽の猛禽は飛び去ってしまった。
ミサゴについて調べていたら「ミサゴ鮨」という項目を発見した。
新しい発見やった。

@ミサゴ鮨
『本草綱目啓蒙』において、ミサゴは捕らえた魚を貯蔵し、漁が出来ない際にそれを食すという習性が掲載され、貯蔵された魚が自然発酵(腐敗でもある)することによりミサゴ鮨となると伝えられていた。ミサゴ鮨については『甲子夜話』(松浦静山)、『椿説弓張月』(曲亭馬琴)などにも登場する。ミサゴが貯蔵した発酵し、うまみが増した魚を人間が食したのが寿司の起源であると伝承される。そのため、「みさご鮨」の屋号を持つ寿司屋は全国に少なからず点在している。また『広辞苑』にも「みさごすし」の項目があり、解説がある。

カモメ

2011年02月06日 | 野鳥・昆虫・野生動物
くちばしと足が黄緑色。
ウミネコは尾に黒い帯があるが、カモメの尾は白い。
尾の白いオオセグロカモメ、セグロカモメは黄色いくちばしに赤い模様がある。

海岸、湾などにやってくるが、ウミネコ、ユリカモメなどより少ない。
死んだ魚や生ゴミなどを食べる。
飛びながらえさをさがし、見つけると水面までまいおり、くちばしでくわえる。

蝋梅

2011年02月05日 | 趣味の園芸
我が家の裏庭に咲いた蝋梅。
今年は咲きはじめが早かった。

唐の国から来たこともあり唐梅とも呼ばれ、中国名も蝋梅であったことにちなむ。
本草綱目によれば、花弁が蝋のような色であり、且つ臘月(ろうげつ、旧暦12月)に咲くからこの名がついたという。


高級ブランドはお好き?

2011年02月04日 | 自宅から西へ
高級ブランドはお好きですか?
私にはあんまり縁がないのですが・・・
そんな私でも,パリではルイ・ヴィトン本店,
フィレンッエではプラダのお店で買い物をしたことがあります。
大阪御堂筋には,いろんな高級ブランドのお店が並んでいました!

@「ビジネス」から「ブランド」へ…大阪・御堂筋の顔
高級宝飾ブランド「ハリー・ウィンストン心斎橋店」と、高級バッグなどで知られる仏ブランド「エルメス御堂筋店」がオープンした大阪・心斎橋。ここ10年ほど続いた出店ラッシュで、御堂筋沿いに20以上のブティックが立ち並び、東京の銀座や青山に並ぶ世界有数のブランド街に成長した。周辺にある商店街の人通りも倍増しており、地元は“経済効果”に大きな期待を寄せている。

セント レジス ホテル 大阪

2011年02月03日 | 建築物
2010年10月1日、大阪・本町ガーデンシティ内にオープンした。
大阪では数少ない外資系の高級シティホテルで、宿泊料は4万円を超える。
「料金は下げずに、ホテルの価値を認めてもらう」という言葉どおり、エントランスから共用部、客室、浴室に至るまで非常に豪華なつくりのホテル。
@セント レジス1号店は1904年の開業
 「ウェスティン」「シェラトン」「ダブリュー」など知名度の高いホテルブランドを抱える米スターウッドグループ。そのなかでも「最も高級」と位置づけられているのがセント レジス。
ニューヨークの1号店は1904年のオープン。北米を中心に展開していたが、近年はアジアや中東などにも力を入れている。11月オープン予定の中国・ラサ(チベット)の新店も含め、2010年内に計23店舗のチェーンとなる予定。
いずれのホテルでも、宿泊客をさまざまにサポートする「バトラー」スタッフを導入しているのが特徴。セント レジス ホテル 大阪も2フロアごとに1人のバトラーを配置している。

私が27年ほど前にお世話になったのは,同じ御堂筋にあるホテル日航大阪やったよなぁ~

伊勢二見で福枡

2011年02月02日 | 自宅から東へ
1月の伊勢志摩への旅,
二見興玉神社で「福枡」を見た。
明日は節分。
1500個全部授与されたんやろかなぁ~

@伊勢新聞の記事
伊勢市二見町江の二見興玉神社(片岡昭雄宮司)で、来月三日の節分に向けた縁起物「福枡(ます)」の準備が進んでいる。
升は木製で、十七センチ四方、深さ九センチの一・八リットル升。側面には夫婦岩や赤鬼などの絵と「家運隆昌」「商売繁盛」の焼き印が入り、内側の底面にはお多福の絵が描かれている。
二十一日はみこ四人が、ことしのえと「辛卯(かのとう)」の印を押し、升に福豆と厄よけの神札を納めて、丁寧に紙で包む作業に励んでいた。福枡の梱包(こんぽう)作業は今月末ごろまで続き、千五百個用意するという。授与は始まっており、全国の崇敬者に発送するほか、同神社が開く二月三日の節分祭まで氏子や参拝者に五千円で授与する。
節分祭は午後二時から行われ、特設舞台で豆まきや餅まきなどをする。


本町橋

2011年02月01日 | 建築物
本町橋は現役の橋としては、大阪市内最古の橋である。
豊臣秀吉が大阪城築城に際して東横堀川を外堀として開削した時に架けられたと考えられている。

大坂の役(とくに冬の陣)の時は、戦略上の重要地点であったとされ、橋周辺で蜂須賀隊と塙直之が激突している。
江戸時代には公儀橋の一つとして幕府が直轄管理する橋であった。
橋の東側は商業地となり、今の大阪コクサイホテルの前には石畳が敷かれ荷揚場になっていた。また橋詰の北東側には享保9年(1724)の大火事以降に西町奉行所が設置され、行政の中心地ともなった。天明7年(1787)の調査によれば、橋長約54m、幅員5.9mの木橋であったとされている。
現在の橋は、本町通が市電道路として拡幅された大正2年(1913)5月に架け換えられたもので、3連の鋼アーチが、ルネサンス風のデザインをもつ石造りの橋脚に支えられた重厚な構造の橋となっている。『浪速の名橋50選』に選定されている。