鋭 持 論

いろんなワクワクを引き出せー

インプロヴィゼーション ボディーワーカー  EIJI のブログ

EIJIという 男・・・

2010-01-21 00:29:30 | Weblog
まさか、こんな形で返事がくるとおもってなかったので、題をみてちょっとビビった。

亮のmixiブログです。2009年10月31日




友人・EIJIが嬉しすぎる文章を書いてくれた。



正直、彼の中で平尾の評価が、意外と高かったことに驚いた(^_^;)…では私も同じく、彼に対する思いを吐露せねばなるまい。





 EIJIという男…。


 私の、彼に対する思いは「嫉妬」という言葉がピッタリだった。



 高校入学時から陸上部で切磋琢磨し、まさに「良きライバル」だと思っていた。だが、そう思っていたのも束の間…伸び悩む私を尻目に、彼はどんどんと記録を伸ばして行った。アイツだって努力してるだろうが、私だって人一倍努力している自負があった。ま、その努力の方向性が正しかったかどうかは別として(^_^;)。


 「なんでアイツが!」



 高校でほぼ同時に入部した時は、実力は同じぐらいだったじゃないか。それなのに、今では天と地ほどの差がついてしまった。「俺だって、俺だって…」その思いが、その頃の自分を動かしていたように思う。ある人にはこんな言葉を言われた。「EIJIくんと張り合うのが間違ってる」。分相応を知れということか。その人にとっては軽く口にしたのかも知れないが、私の心には大きな傷跡が残った。




 2人の決定的な差は埋まらぬまま、EIJIはインターハイ県大会での優勝という、文句のつけようがない結果を残す。大会のたびに好記録を連発し、いつしか彼の周囲には名の知れた選手が集まっていた。その時の自分では、その輪の中には絶対に入れない。羨ましかった。やがてEIJIは、高レベルの選手だけが許される選抜合宿にも参加。持ち帰ったその技術を他の部員にも伝えて行った。常に彼には、周囲から羨望の眼差しが向けられていた。



 最後の最後まで、何につけても私がEIJIに勝てたことはほとんど無かった。あるとすればマラソン大会と、体力測定の懸垂ぐらいか。



 私にとって高校時代のEIJIは何だったのか。友人?ライバル?目標?…もしかしたら「敵」に似たような感覚さえ持っていたかもしれない。



 …ちなみに、EIJIが指摘した「アレが短距離の練習か」という指摘については、結局大学でも変わらなかったぞ。大学卒業時にもらった、後輩からの寄せ書きの中に「質より量の練習が印象的でした」との言葉があった(笑)。そういやー「エンドレスインターバル」って馬鹿なのも作ったなー。200メートル25秒ぐらいで設定して、一本一本全力ダッシュし「そのタイムを切れなくなったら終了」。手を抜いたらいつでもやめられるが、気合と根性があれば一生走り続けるというマゾメニュー(ーー;)




 確かに「合理的」とは対極の位置にいた気がするなぁ。






 先日の同窓会で、約10年ぶりに顔を合わせた。EIJIは海外で専門的な資格を取り、それを伝えているという。世界がひっくり返っても、私ができそうにない仕事だ。そして彼は京都に住んでいるという。かつて京都に住みたいがために、京都の企業オンリーの就職活動をしていた京都LOVEな私にとって、それだけで羨ましい。さらにビビったのは。私が好きなアーティストさんと普通に友人だったコト。時々チェックしているそのアーティストさんのブログに、確かに出てくる「EIJI」の名。しかし、私の知るEIJIと同一人物だと想像すらできようか。




 久々に会った彼に、性懲りもなくまた「嫉妬」した。しかし以前のような激しい怒りに似た嫉妬じゃなく、苦笑いの嫉妬だった。「あー、やっぱりコイツにゃあ敵わんなぁ」。そんな風に思った。






 私が大好きな歌手、河島英五が生前最後に作った曲「旧友再会」。入院中に、見舞いに来てくれた友人たちへの感謝を歌った曲だ。私が高校時代のコトを考える時、その曲の一節を思い出す。



 「ともに過ごした青春 今では笑い話さ

  もしも、もしもやり直せるならば も少しうまくやりたいね」




 傷ついて、涙を流して、ギクシャクしてたあの頃。でもいつの間にか「ンなコトもあったなぁ」と言える年齢になった。過去は変えることはできないが、笑い飛ばすことはできる。もちろん、私が負った怪我も。



 たぶん根本的なことは、EIJIも私も高校の時と変わってないだろう。少なくとも私は今も、計画もほとんど立てずに旅に出て失敗する不合理男だ(-_-;)何か一緒にやってたら、また色んなところで意見がぶつかるコトもあるだろう。


 
 でもさ。



 せっかく再会したんだし、今度は「も少しうまく」やろーぜ。うん

平尾 亮という男・・・

2010-01-21 00:24:05 | Weblog
2009年10月30日 mixi blog より




亮へ

今朝のNHKの生出演お疲れさま。

亮という人間があらわれていて、感激した。

ありがとう。


今日のブログは、あなたのことについて、正直にふりかえさせておくれ・・・。



平尾 亮という男・・



実は亮とは、高校時代の同級生でしかも、同じ陸上部で短距離を専門をしているという面でも同じ立場のやつだった。



あえて、やつと表現したのは、高校時代の彼とは深い溝があったからだ。




頑固で、無愛想、むさくるしいぐらいの正義感、泥臭いぐらいの努力をひたむきにやる男が、その当時うっとうしくて、絶対負けられない男の存在だった。




足首におもりを巻きつけて、通学して、そのまま走ってたり、短距離やのに、長い距離をオマエは長距離部なのかとおもうぐらい走っていたり、あと、タイヤを引いて練習するのは俺もやったりしたが、それをオマエは一体なん往復するんだ!!もう一回いうが、短距離なんだぞ!!




その当時のおれは、亮の練習方法に対して、本当に意味がわからなく、たまにそれに付き合わないといけない状況になるのが、ゆるせなく、はらただしかったのを思い出した。




"おい! 俺たちは短距離を速くなろうとしてるんやぞ、なんでそんな練習の仕方になるんや"と反発していた。





おれはそんな雰囲気と練習方法がいやでたまらず、一人離れて練習するようなこともするようになっていた。




2年生ぐらいから、自分の成績が急激に伸び始め、2年生で近畿大会にでたりしたことで、なおさら、自分は陸上部全体での練習に集中しなくなり、いかに自分が速くなるのか考えて行動し、よく1人で練習するようになっていた。



いかに、効率よく、合理的に速くなるためにはどうしたらいいのか、そんなことばかりいつも考えていた。



このように、全く亮とは、考え方が違いすぎた。



でも、おれはどこかでほんとに亮は憎めない人であることにも気づいていた。




向かう方法は全く違うんだが、このむさくるしいエネルギーに共感していたのだと思う。




当時、陸上の成績では、私の方が速かったのだけど、実際、亮に勝っているとはどうしても思えない自分がいたことも事実だった。




その当時から"亮は絶対に将来どこでも生きていける人間だ"と確信もしていたのだから。





それに対して、自分は生きるということに対して、臆病で将来に、ものすごい不安と恐怖があった。





今、おもうと亮に人の生き様を見せつけられ、どこかで自分の生き方におびえていたのかもしれない。



案の上、私は陸上部を引退した3年生の10月から、自分という存在に向き合うことが怖くなり、逃げはじめた人生をそれから、23歳まで送ることになる。
その5年間については、またどこかでお話しします。




高校を卒業してから、亮とも会う機会が減っていたんですが、なんとまた、大学の試合で会うことになった。




その当時は違う大学だったし、他府県だったので、試合であっても話をした感じでもなかった。




ある日、高校の友達から電話があり、亮が事故にあったという連絡だった。




まだまだ、わだかまりありまくりではあったが、友達と一緒に山科にある病院までいった。




そこには、ものすごい事故にあった亮がいた。



片足の下腿断裂。



名神高速道路でバイクで転倒、後続のトラックにひかれたという。



唖然 だった。



そのとき、私が亮にかける言葉がなかったのは言うまでもない。



それからずっと、33歳まであっていなかったのだが、数ヶ月前の高校の陸上部の同窓会で再会したのである。



1次会では、話しもしなかったが、2次会がなんと亮も含めて3人でいくことになった。



でも、当時ずっと抱えていた、わだかまりは全く自分の中になく、逆に自分でも不思議な感覚だった。



なんとさいごは、朝方2人で、タクシーにも乗らず、私は自転車を押し、亮は松葉杖でひたすら、1時間ぐらい歩きながらかえった。



そのとき、とりとめもない話をしながら、帰った。



自宅に着いたとき、私は亮がしていることやったら、無条件で何でも手伝いたいと思っていた。



平尾 亮という男に 出会えて 感謝です。




あと、これまで、読んでいただいた方に、もうひとつだけ観てもらいたいものがあります。



是非、みてください。


よろしくお願いします。


http://leepi.milkcafe.to/gekisen-vtr/index.htm

平成14年1月10日 夕方
関西テレビ
「スーパーニュース ほっと関西」





言いたい事は言わねば・・・

2010-01-19 23:44:51 | Weblog
夜、仕事帰りに自転車で帰っていたら、警察官に呼び止められた。



ライトがついていないから。



ライトをつけて、行こうとしたら、紙に署名をもとめられた。




罰金はないから、そんなに気にすることはないといってきた。




なんか納得がいかなかったから、なぜ署名をさせるようになったか、きいてみた。



そしたら、こんな答えがかえってきた。



"前から取り締まってきたけども、結果が現れなかった。それで地域の住民から批判をうけて、取り締まっているということを形にして残さねばならなくなったといった"




それはおかしいとわたしは問いただした。





そんな形だけのために、サインはしたくない。





次に警察官がいったことは、サインをすることでより気をつける意識が高まり事故が減るということだった。





最初に、このことをいうべきだろう




さっさとサインをしてほしいだけだから、最初のいい方になるんだろ。



市民をバカにするんじゃねー。





でも、怒りがでてくるというよりは、なんか悲しくなった。




警察官も疲れている。




一生懸命仕事をしても、形にのこらなければ評価されないんだろう。




だからこそ、言いたいことは言わねばならぬ。



矛盾の世の中だけど、面白がっていこう。




最後は、笑顔でサインしたとさ。

今こそ学ぶ時

2010-01-18 00:05:22 | Weblog
自分の役割を全うしたひとに出会った。




批判されても、いいじゃないか。




受け入れて、にっこり笑おう。



Eiji





下の記事は毎日新聞


山口彊さん死去>「ノーモア」2人にバトン 死の2週間前「今こそ学ぶ時」


 ◇二重被爆・山口さん→キャメロン監督と米作家に

 【ロサンゼルス吉富裕倫】広島と長崎の両方で原爆被害に遭った「二重被爆者」の山口彊(つとむ)さん(93)が亡くなる約2週間前、長崎市の病院を訪ねていた米作家、チャールズ・ペレグリーノさん(56)が6日、毎日新聞の電話取材に応じた。自らの死期が近いことを悟った山口さんは、ペレグリーノさんとともに訪れた映画界の巨匠、ジェームズ・キャメロン監督(55)と3人で手を取り合い、「原爆が何をもたらしたか、人々に伝えるバトンを渡したい」と思いを伝えたという。

 ニューヨーク在住のペレグリーノさんは08年7月、山口さんの体験を題材にノンフィクションを書くため、自宅を訪問。その後、病状が深刻になった山口さんが、二重被爆者に関する映画化構想を抱いているキャメロン氏との面会も希望していることを知り、先月22日、新作映画「アバター」の宣伝のため訪日した同氏とともに病院を訪ねた。

 ベッドに座った山口さんは死期が近いことを悟り、「私の仕事はほぼ終わり、引き継ぐ時が来た」と述べ、広島、長崎の惨劇を二度と繰り返さないよう語り伝える仕事を2人に託し、手を握って誓い合ったという。

 「もう時間がない。今こそ学ぶべき時だ」と訴えた山口さんにキャメロン氏は「忘れ去られた事実を本当に再現する映画になるでしょう。山口さんのバトンを引き継ぐのは名誉なこと。最善を尽くします」と製作に意欲を示したという。




山口さんのような「二重被爆者」は全国に165人程度いるというがその消息は定かではない。


山口さんは最後にこう結んでいる


「・・・一見、正しそうにみえる言葉に、どうか心を乱されないでほしい。



良心に照らし、かき消されがちでも、確かに聞こえる心の声に耳を傾けてほしいと思う。



そのことが人の世を信じられる原動力になると思う。」



もどかしい・・・

2010-01-10 00:01:55 | Weblog
自分をよくみせたいとちょっとでも、思ってしまったら、自分の良さが消え、自分の表現ができなくなる。


もどかしい・・・。



でも、楽しみが増えた。

開門神事福男選び

2010-01-08 22:49:24 | Weblog
日曜日 午前6時 西宮神社表大門(赤門)から本殿へむけ、福男を目指したくさんの人がかけだす。


去年は4000人以上の人が集まったらしい。


それだけの人が福男になるためにあつまるのだから、ものすごいエネルギーやな。


毎年、ニュースではみていたけど、まさか、自分も挑戦!?





ではないのだが、神事のお手伝いをさせていただくことになった。



明日の夜から日曜日の朝6時まで、いつもとは違う世界を面白がり、久しぶりに凄まじいエネルギーを出すことになるんじゃないかと感じて、ワクワクしてます。



無事に安全に神事が行われることを願います。

しっくりきてるわー

2010-01-08 11:33:05 | Weblog
髪が長いのが、ホントにしっくりきている。


1年ほどまえまでは、短髪にしてることが当たり前で伸ばすことなど、考えもしなかった。


自分の髪質や生え方にくせがあって、それでいらいらしていたこともあったことに今になって気づいた。



自分の髪型がしっくりこないのが、当たり前すぎて目をそむけていたんだろう。



まさか、"俺がロン毛だなんて"、高校生の自分がもしこの髪型をみたら、驚愕すると思うわ(笑)





ロン毛イコール不良みたいな世間一般の常識を装って良い子だったもんなー。



その反動なのか、大学時代はあまり憶えてないくらい堕落してたし。



でも、いまでも、何か不良で善なのかなんてわからないけどね。



確実にわかることはロン毛がしっくりきてるという感覚だ。

揺れて、揺らして。

2010-01-01 01:56:32 | Weblog
あけまして、おめでとうございます。


みなさま、ことしもよろしくおねがいします。



わたしがことしもみなさまのちょっとした、ゆらしやくにさせていただければさいわいです。



えいじ