経済格差と学力格差

2006年04月10日 20時40分29秒 | 教育とふっき~

夕方のニュースにおいて、「所得が少ない家庭の子どもほど、学力が低い」ことについて、
特集としての放送がされていたので考えてみた。
ついこの前も似たような特集が別の番組でなされていた気がする。

前提として挙げた「低所得家庭→低学力」は、一部地域ではニアイコールで成り立っている。
ニアイコール、と表現を濁らせたのは、
イコールとは言い切れないと判断した著者の弱さ、というか勝手な解釈からである。

さて、一部地域、と前で言ったが、これは都市部、こと東京都市部のことである。
なぜなら、番組で特集されていたような「中高一貫校の中学受験が増加している」
ような背景の地域は、都市部、こと東京都市部に限られているからである。

東京では、都立高校よりも私立高校の方が一般にランクが上となっている。
僕の地元岐阜県や、ここ長野県、名古屋を抱える愛知県でも、公立志向は高い。
ゆえに、公立、つまり県立高校の方が一般的にランクが高いと思われている。
私立高校は公立高校の滑り止め、あるいは公立に入れない人のため、のような扱いもされる。

東京では、「公立小学校卒業レベルの学力では(私立)中学受験ができない」らしい。
ここで指摘されがち、というか現に指摘されているのが『ゆとり教育』である。
たしかにゆとり教育がもたらした学力低下はかなり大きいと思われる。
教科書はかなり薄っぺらになったし、
オールカラーで子どもの目を楽しませることに特化したようなつくりになっている。
授業で扱う内容も減っているし、僕ら(昭和世代)とは大きく異なっている。

なぜ、低所得の家庭は子どもの学力が低下するのか?
それは、塾に通えないから、である。番組でもそう言っていた。

しかし、最大の問題点は次の点にあると僕は思う。
それは、
学校では勉強をわかりやすく教えてくれない、ことではなく、塾に行かせないといけない環境だ。

つまり、学校じゃ役に立たないから塾に行かせるんだ、という親の主張を真っ向否定し、
「塾に行かせてまでしないといけないような学校に行かせなければならない東京という社会」
と、
「塾に行かせてまで私立に入れてしまおうとする東京の親」
にこそ、最大の原因があるのではないだろうか?

たしかに、公立の学校教育は最近ダメになってきたかもしれない。
実は教育学部生の僕自身、「やべーだろ、あの授業」みたいなのをしばしば見かける。
しかし、「私立に行かせなければならない!」という親の気持ちが、
そんな序列ができてしまった東京という社会が、最大の問題なのではないだろうか?

「私立に行かせる」ために「成績を上げる」ために「塾に行かせる」ために「カネがいる」。

そんな流れをつくり出したのはいったい誰なのか?
学校という限られた枠の中でどうして子どもたちは多くを得ようとしなくなったのか?

それは、間違いなく、塾に通わせ始めた「現代の」親の入れ知恵だと思う。
マスコミが教師の指導力低下や授業の質落ち、ことゆとり教育による内容削減、
こういった学校があたかも悪いかのような部分のみをクローズアップして放送する。
これを鵜呑みにして、学校は役に立たないと学校批判を始め、塾に行かせ、
「学校は役に立たない」と子どもに入れ知恵し子どもは親の言うことを信じる。
そして学校では積極性をなくし、あるいは怠け、あるいは授業を妨害する。

経済格差が学力格差を招いているのは、私立を狙う一部の都市住民である。

「塾に行かなくてもわかるような授業を展開する」
のは学校の大事な役割。

「塾に行かなくては、行かせなくてはどうしようもなくなってしまった」
のは都市の社会の慣習。

しかしこれを忘れないでほしい。
「塾に行かなくても学校で多くを得ようとさせる」
のは、学校と社会と、そして何より親の義務。

子どもが学校を見切ったのではなく、
社会やマスコミの報道が親に学校を見切らせたのではないだろうか。
子どもたちがもっともっと学校という枠の中で学ぼうとする意識を持てば、
親の経済力に関係なく、もっと学力は向上するはずである。
その意識は子どもが自ら身に付けるのではなく、
親が、社会が、学校が、身に付けさせるものではないか。

親は…学校の批判をして無駄にしているその時間を、
子どもが1分でも多く集中力を持続させ、机に向かうような努力に向けてほしいと思う。
これが学力問題を解決する、第一歩だと思う。

※ 貧しくとも上を目指す家庭も多くあることを追記しておく。