再び平家物語の謎に迫る

平家物語に下記の記述あり(これは史実に近いようだ)
源頼政が以仁王(高倉の宮)のもとを訪れ、こう打ち明ける。
『御謀反おこさせ給ひて、平家をほろぼし、
  法皇のいつとなく鳥羽殿におしこめられてわたらせ給ふ御心をも、
  やすめまいらせ、君も位につかせ給ふべし』
しかしこれは早くも平氏側に漏れることとなり、頼政は宇治の平等院で自刃。宮は南都へ御落延の途中光明寺下で流れ矢に当たり、あえなく死去。

これからが謎なのです。
以仁王を鎮魂する「高倉神社」が各地にあるのは一体どういうことなのだろう?!
1、 京都の木津川(平家物語にいう光明寺の近く)
  HP http://www.city.kizugawa.lg.jp/article.php?id=436&f=275&t=cat
2、 同じ京都は綾部(「光明寺下で流れ矢にあたり逝去したと偽り、実は大槻光頼、渡邊俊久等十二士とひそかに頼政の領地丹波路に落ち延びられました。」とさ)
  HP  http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/12/49/index.html
3、 何と福島県は会津です(「しかし、実は平家に敗れた後、この大内=会津に逃れ数日間滞在していたという伝説が残されているのです。」だって)
  HP  http://www.kennan-syuhan.co.jp/furusato/005.html
1は隣接して宮内省が管理する以仁王の御墓があると言いますから、なんとなく権威があるようです。しかし3はについては、「霊を祀る高倉神社の祭礼である。江戸時代の藩政による宿駅として栄えた頃は、王の命日、5月19日に実施されていたが、明治になって半夏の日に延ばし現在に至っている。このことから「半夏まつり」と呼ばれ、五穀豊穣を祈るまつりでもある。」何と盛大な祭りが続いているのだ!
もっと先がありますが、それは次回にしましょう。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


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コメント
 
 
 
Unknown (安ちゃん)
2009-02-27 14:52:49
平家物語もほとんど知らない素人です。
義経伝説のように、実は以仁王は流れ矢で死んだことになっているが、都を逃れてこの地で天寿を全うした、というような話ではないでしょうか?
 
 
 
Unknown (迷える)
2009-02-27 21:08:17
安ちゃんへ
そうですね、後の世の人が同情の余りそのような仮説を立てたのでしょう。
 
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