ライアー&ギターセラピー☆ 私の音に会いにきてください。音はあなたの記憶。あなたの魂。ほんとうのあなたの音に出会います

ライアーとギターの音色で、光の存在たちからの愛のメッセージをお届けします。自分の音を紡ぎだすよろこびをサポーとします

あなたは山を愛する資格がありません~

2013年05月31日 | スピリチュアル

最近、見つけたなつかしい曲の動画ですが、パソコンを開いては仰向けになってはこの曲を聞き入っていました。

ところがコメント欄に
ひとの作品を無断でアップするのは犯罪です

Aさんが「この動画はわたしが作って作品です。わたしAに著作権があります。ひとの作品を無断でアップするのは犯罪です。すぐ、削除してください」と書いてありました。

数日後にBさんが、「人のを盗むのはよくないですよ」

数日後にCさんが「こんなことをして、よく恥ずかしくないですね」

数日後にDさんが「あんたがこの動画作ってないだろう」

この動画を作った主は誰なのかわかりません。エックスさんとしましょう。

動画のコメントをまとめると、
Aさんがもともと作ったものを、エックスさんが無断でアップし、BさんとCさんが、Aさんに味方して「それはよくなことだ」と言っているのに対して、Dさんが「この動画を作ったのはAさんじやないだろう」とやりとりしているようです。

この動画の曲を聴いていくうちに、コメントの文字がいやでも目に入り、ひとの盗んだものを聴いているわたしが共犯者のように思えてきて、気持ちよく聴けなくなったのです。

このコメントを見ながら、何年も前にも同じようなことがありました。これはいつか書きたいと思っていたことですので書きます。

あなたは山を愛する資格がありません。花を返してください。

この文字は立札に書かれたものです。

わたしが前に住んでいたところは、自然の山林を開発したニュータウンでした。団地が立ち並ぶところどころに自然が残っていて、ウオーキングするのに最高でした。

竹林があり、雑木林があり、山道の途中から、右と左に道が分かれ、右はホタルか生息している湿地帯、左は藤の木やツタの野イチゴの木が絡み合い、春から夏の季節はヨモギやドクダミの香りがむせるように漂っています。

ウオーキングをしながら、今日は湿地帯の涼しいコースにしようか、それとも、野イチゴのある道にしようか、
山道が右と左の分かれるところで、一息しながら考えたものです。

ある日、この分岐点に、ほととぎの花が咲いているのです
誰かが植えたのでしょう。ほととぎはもともと野生の花なので、誰かが植えた花であっても、違和感がなく、周りの草花たちと調和がとれていました。ウオーキングをして、この花を見るのがたのしみになりました。そして、花を眺めてひと休みして、また、右の道か、左の道を考えるわけです。

ところがある日、ほととぎすの花はありません。

あなたは山を愛する資格がありません。花を返してください

誰かがほととぎすの花をとったのでしょう。それで、花を植えた人が、このような札を立てたのでしょう

これをみたときに、わたしは「そうだ、そうだ、花を盗んだあんたは悪い、山なんて愛する資格なんかない、花をかえしなさい」と、花をとった犯人にたいして腹が立ちました。

ところがです。ここからわたしのほんとうのいいたいことは。

文字がひとや自然を裁いている。

わたしがウオーキングしてその山に行くたびに、「あなたは山を愛する資格がありません。花を返してください」の文字が目に入ります。せっかく気持ちよく山を歩いているのに、この立札の文字で、いや~な気分になります。つまり、この文字は、ひとを裁いている。自然の山に、ふさわしくないのです。(あのときにわたしはそのように感じました)

ちよっと待てよ。この立札を立てたひとも、山を愛する資格があるの?

立札は翌年も立っていました。そして、翌年も・・・・。

その後、どうなったのか、わたしは今のところに越してきましたので、わかりまんが・・・。

立て札の文字と動画のコメントは、似ています。
自分のものを無断でとったひとへ、それを返してください、という気持ちは、花であっても、動画であっても同じことかもしれません。

わたしの考えですが
花をよほど好きなひとがもっていったのだろう。
この曲を好きなひとが、ほかのひとにも聴かせたくてアップしたのだろう・・・。

さらに、この続きを書きます

この現実をみているわたしも、これと同じようなことをしてきたか、している。
花や動画でなくても、ほかのことで・・・・。

あの立札も、いつか風化して、何事もなかったように自然は移り変わり、

動画の曲も、もともとは作詞家、作曲家がつくったもので、この現実界にいないけれど、きっと、多くのひとに聞いてもらったほうがうれしいはず・・・・

でも、よくよく、考えてみると、わたしは花をとったひとの現場もみてません。動画をアップしてひとも見てません、

文字だけみて、わたしが勝手にイメージして、書いているわけですから・・・・。パラレルワールド的に考えるとまた、別の見方が存在するかもしれませんが。

動画のコメントをみて、あのときの立札を思い出して書いた次第です。

 

 

 

 

 

 

 

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イメージトレーニングはいやな環境のなかで力がつく

2013年05月30日 | スピリチュアル

今、あるひとのブログを読んでいたら、
ああ、そうなんだな・・・・とこころに深く感じることが書いてありましたので、急にここで紹介したくなりました。

イメージトレーニングですが、わたしもほぼ毎朝、緑の木の下で、冬は朝日のあたるところで、静かに目を閉じてやります。


でも、このブログでは、24時間、どこでてもできるということなのです。

緑の木の下や、自分の部屋で、しずかに瞑想・イメージトレーニングをして、「いま ここ」を意識して、人を愛すること、世界平和を祈っていても、ひとたび外に出れば、電車は混んでいるし、仕事では文句言われるし、おカネの心配もするし・・・・。

わたしの好きな、斉藤ひとりさんは、いやな人がいたら、修行の滝に打たれている、とイメージするそうです。もっと、怒ってくれ、もっと怒ってくれ、ありがとう、感謝しますと・・・。

たしかにイメージトレーニングは、いつでも、どこでも、何を見てもできますよね。
イメージも周波数なので、自分に合った周波数の映像とつながるようです。なので、ひとりで静かにCDを聴きながらイメージトレーニングをすればある程度はできても、いざというときにどれだけ実践できるか・・・。

イメージトレーニングはいやな環境のなかで力がつくことは、たしかなようです。

瞑想とイメージトレーニングは、違うような気がしますが・・・・。同じかな~。?


 

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電車に飛び乗るな!

2013年05月28日 | スピリチュアル

過去を書き換えることができる~ということは、
つまり、信念を修正することだそうです。
ですので、メソメソと悲しんでいたのでは、信念の修正はできないということなのかもしれません、

それと、過去を書き換える方法として、「いま ここ」に集中することではないかと思います。
ごはんを食べるときは、ごはんを食べることに集中して、仕事をするとき仕事に集中して、子どもと話しているときは子どものことに集中して~、これが「いま ここ」に生きるということのようです。

とはいっても、わたしたちの脳は、無意識に過去の悔しいこと、かなしいことにリンクして、いつまでも悔しいこと、かなしいことを抱えてしまいます。

はなしが変わりますが、数年前に、ある保険会社に講演で伺いました。そのときに、男性の支社長・Mさんが「忙しいくて、時間がないんです。子どもとの時間がとれないのです」というのです。

このときに、わたしは「電車に飛び乗るのをやめてみてください」といいました。

それで、Mさんは電車がホームに入ってきたけれども階段を走らなかったとのこと。ひとりホームに残されて、いつもなら携帯電話をいじるのに、駅の土手に咲いているたんぽぽの花が目に飛び込んできたそうです。

ほんの数分のできことです。
Mさんは、ふと、子どものことを思い出して塾に迎えにいくことにしたそうです。自転車の後ろに子どもを乗せて、自転車をひいて歩きながら、空の月をみながら親子で会話したとのこと。
このときの体験を、わたしにこのように話してくれました。

ああ、子どもってこんなことを考えているのか
ごはんてこんなにおいしいんだ~
お風呂ってこんなに気持ちがいいんだ~

Mさんの感じた世界は「いま ここ」にある実感だろうと思います。

「いま ここ」というのは、すごく大事なことなんですね。
「いま ここ」に生きると、過去に囚われことは、ほんとうはないはず・・・といっても、このことを悟るために多くの修行僧たちがいろんなことをやってみたわけですよね。

Mさんになんで電車に飛び乗るのをやめてみて・・・と言ったのか?
無意識の行動→電車に乗るクセ→意識してやめた。

過去の出来事を思い出すのも、無意識でクセになっているような気がします。
無理やりに過去の出来事を思い出すまいと、閉じ込めると、過去の出来事は強化します。
あたらしいイメージを作って、新しいイメージとさしかえると、いいのではないか・・・。これはわたしの体験ですので、すべてのひとに当てはまるかどうかわかりませんが。

わたしが自分の息子とすべり台で滑っているイメージはわたしの内で定着したようです。信念の修正ができたということだと思います。自分を許す、ということでしょうか。




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過去を書き換える~ママとすべり台で遊ぼう!

2013年05月26日 | スピリチュアル

誰にでも、あのときに、あんなことをしなければよかった、と思う出来事がいくつかあると思います。

わたしにも後悔してもしきれないようなでき事がありましたが、信仰をしたり、年齢を重ねるにつれて、それらに対する執着が消え(人間が丸くなるというのはこういうことかもしれません)、それでも、思い出して悲しくなることがあります。

その悲しくなるできごというのは、長男が2歳のときのことです。くわしい内容はかきませんが、長男がかわいそうだったと思う気持ちが年々強くなり、あのときに戻ってもういちど、やり直したいと思うくらいでした。

はなしが変わりますが、だいぶ前にプロのスピリチュアル(わたしの知人に招待をされて)「生命の樹 瞑想ワークショップ」を受けたことがあります。このときに、子どものときにさかのぼって、思い出したできごとを「書き換えますか?」と言われて、「はい、この記憶は書き換えます」といってあたらしいできごとをイメージして書き換えて、そして、進んでいくんです。
それが一年半前だったと思います

それで、過去を書き換えることができるのだと、ほんとうに実感できるようになったのはここ数日間のことです。体験として新しいのですが、今日は、書かずにいられないので書きますが、ああ、そういうこともできるのかもしれないと思って読んでください。

パラレルワールド(わかりやすく説明してあります)、の考え方を知ると、過去を書き換えることができる意味が理解しやすいかもしれません。目の前にみえる現実と、ほかの現実が他にも存在しているという考え方ですが、よく、五次元~は時間と空間がない、過去も現在も未来も同時に存在していると言われています。

過去は消せないが、書き換えることができる
これは、素人の考え方なんですが、
そうか、過去も現在も同時に存在しているならば、あのかなしいできごとをを書き換えることはできるのではないか?よく、過去は取り戻せない、今と未来しかないと、と言われますが。過去は取り返しがつかないけれどもこれからがたいせつなんだよ、という意味にとれます。

でも、過去を書き換えることができるというのは、過去は消せないが書き換えることができるということのようのです。それで、かなしいできごとを書き換えるために、長男が二歳のときのことをアルバムで見てみようと思ったのです

わたしに抱っこされて笑っている息子の写真・・・この、写真を撮るときの気持ちを思い出して、息子が履いているくつや洋服・・・をみました。そして、息子がわたしの母・おばあちゃんにおんぶされている写真もみました。

それで、ああ、息子は、愛されていたし、わたしも若くて、子どもの気持ちが理解できなかったけれど、わたしなりに、息子を愛していたんだ。ごめんね、ありがとう、を何回も何回もくりかえしました。(感傷に流されないこと)

それで、翌朝、息子が子どもの頃に書いた落書き、はじめて書いた字など、チラシの裏でかいたものを思い出箱にとって置いたのですが、4歳のとき書いた「ママ、ありかとう、〇〇はうれしかった。また、あしたあそぼうね。おやすみなさい」とたどたどしい字で書いてあるんですね。

それと幼稚園のときにも母の日にママの顔を描いて「お母さん ありがとう」と描いたそれを、手にとって、じっくり味わいました。

それで、このときに、わたしなりに感じたことなんですが
過去を書き換えるときに、過去を振り返って、メソメソしてはいけない、ということなんです。
とかく、過去と言うのは、悲しみの感情を誘います。

でも書き換えるときは、自分の魂との対話ですので、感傷に流されないこと。ここは真正面から「いま ここ」の宇宙にむかって、過去の息子に語りかけ、ありがとう、ごめんね、ここを書き換えようね、どんなふうに書き換えようか、そうだ、ママと公園で遊んでいることにしよう・・・とイメージします。

イメージがいかに大切かなんですが、相手のことを嫌だなと思ってイメージすると、相手とはコミュニケーションが取れないですよね。

それで、息子と遊んでいるイメージをして、たとえば、今朝もそうなんですが、わたしが瞑想しにいく緑の公園に、すべり台があるんです。そのすべり台で、息子を抱っこして一緒に滑っているシーン、そして、息子がひとりですべり台から「ママ~」と手をふってくれるシーンを描きます。

これを数日間、イメージして書き換えていると、あのかなしい感情が湧いてこなくなりました。

それで、思ったのですが、
かなしい体験は、一回かもしれない、一日のできごとかもしれない、
なのに、何回も、何回も思い出して、一年、二年も、どうかすると、人生のほとんどを、かなしい出来事を思い出して、かなしんでいるような気がします。それが人間というものかもしれませんが(笑)

たとば、パイナップルか何かで身体をこわしたとします。
食べたのはたったの一度なんですが、その一度のために、パイナップルがきらいになり、思い出すだけでも体の具合が悪くなる・・・。これをトラウマっていうのかもしれませんが。パイナップルでひどい思いをしたのは娘なんですが、娘はパイナップルの食べ方を変えたら、パイナップルが食べれるようになったといいます。

わたしたちの過去のできごとも、たった、一回のことを何回も何百回も、何千回も思い出して、そうすると、いやなできごとや悲しい出来事は、ますます強くなります。

それで、過去を書き換えることができるといいたかったのですが、
パラレルワールドのことを知らなくても、イメージして書き換えることができるということです。悲しみもつくられたイメージから湧いてくる感情だとしたら、イメージを変えたほうがいいわけですよね。(というわたしもさいきんわかったことですが)。

それで、もし、いやなできごとやかなしいできごとを思い出したとき、ちょっと待てよ、これは書き換えた新しいイメージにしなくちゃと思ってやってみてください。感情のコントロールをするということです。

わたしと息子がすべ台で遊んでいるシーンが、宇宙のどこかに記録されていると確信しています。創造する、とはこういうことだろうなと思います。

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寝ている間、どうなってぃる? 

2013年05月24日 | スピリチュアル

昨日、馬はあんなにたくさんいたのか?
時代劇に出てくるあの戦争シーンで馬がバタバタと倒れて死んでいくのをみて、数年前に、ふと、゛おかしい、あんなに馬がいたかな゛と疑問に思え、それで図書館にいって調べました。

で、もうひとつ、このブログの軸になっている「テーブルをきれいにするだけで~」は、本を数冊出していますが、テーブルって、いったいなんなのだろう・・・・、とこれもやっぱり、図書館にしげしげ通って、テーブルが出てくる絵画の分厚い本をめくりめくり、ついに古代の壁画に出てくるテーブルをみつけました。

そんなわたしが、これは不思議だ、知りたい、と思う課題が見つかりました。そんな、続きだと思って読んでいただけるとうれしいです。

寝ているとき、どうなっている?
夜、寝ているとき、自分はどうなっているのか・・・・?覚えていないのだから・・・。そりゃ、寝ているんだから覚えていないのは当たり前でしょ。とひとはいうでしょう。でも、わたしは不思議なんです。

実は、死後世界にいっているそうなんです、(笑いたいひとは笑ってくださってもいいですし)
もともと、わたしたちの意識は、五次元にあるそうです。五次元とは霊界、死後世界のことだそうです。つまり、肉体は三次元の物質世界にありますが、寝ているときは意識は、五次元・死後世界へいっているそうなんです。

昨年、インドの聖者として崇拝されているひとの講演に招待されていきましたら、この聖者が
「一日に一回、死んでください。寝ているときに死んでいますから、目が覚めあなたは生まれ変わっているのです」というのです。
これをきいたときに、わたしはピンとこなかったのですが、さいきんは、いろいろと調べていくうちに、きっと、そうなんだろう・・・と思えるようになりました。

草花たちも昨日とおなじではない
今朝、新緑の下で瞑想をして、ああ、わたしは生まれ変わった・・・。そう思って、自然の草花に目をやると、花たちもあたらしく咲いて、昨日とは同じではないのですよね。あたらしい一日とはこういうことなん゛たな・・・・と。

それで、今朝、夫の顔をみて、(いつも見慣れた昨日の夫が今朝もいる)、いや、違う、このひともまた、あたらしい夫なのだ・・・。昨日の夫でない・・・とそう思いながら笑ってしまいました。

ところで、昨日と今日は違うと、よくいわれる言葉ですが、これは、すごい深い意味があるようなのです。

二年前に道元禅師の「正法眼蔵」を図書館から借りて読もうと思ったけれど途中まででした。印象ぶかいことばがありました。

たき木はいとなる 中略
灰はのち。まきはさき、みとるべからず・・・・中略

これはどいう意味かといいますと、たき木が燃えて、灰になったのではない、ということのようです。季節においても、道元禅師は「春が終わって、夏がきた、のではない」と。

この意味が、ようやく分かりました。というのは、三次元の物質世界は時間があって、過去~現在~未来と順番がありますが、五次元は過去も未来ない、「いま ここ」に同時に存在しているそうなんです。元禅師のいっている、たき気が燃えて灰になったのではない、はもしかしたこのことなのかなと思えてきました。

寝ている間、時空を超えて~
わたしが思うには、もともと意識がある五次元世界にもどっているのではないか?つまり、死後世界にいって、というと信じたくないかもしれませんが、時空を超えて自由になり~ふたたび、肉体にもどって、ああでもない、こうでもないといって現実に縛られるのだろうな・・・。

ある人がいうには、意識が死後世界にいっている間、肉体は空き家になっているけど空き巣が入ることはないようです(笑)。ちゃんと、意識がつながっているそうなんです。

寝ている間、どうなっている?
わたしの不思議を書きましたので、解釈はご自由に。

いつも見ているブログーMANAさん(空~のメッセンジャー)が、「あなたは虚空である」虚空とは(ゼロ 死)と表現していました。



 

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アンジェリーナ・ジョリー乳房切除?と馬

2013年05月23日 | スピリチュアル

アンジェリーナ・ジョリー乳房切除のニュースを何かで知りました。

なんと勇敢な女性だろう・・・、そう思っていましたが、たまたま、わたしがたまに見ているブログで、
「本当にアンジェリーナは乳房を切除したのでしょうか。」全て利権企業と共謀したPR活動の一環だったのです。アンジェリーナは母親が乳がんで亡くなっており、彼女も87%の確率で乳がんになると遺伝子検査で分かったと言われていますが、この統計も嘘です。

これを読んで、ああ、そうか、そういう見方もあるのだ・・・。と思いました。

それで、ここでわたしが何がいいたいかというと、「いったんは疑う」ということです。
はなしが余談になりますが、よく、テレビなどで、薬害や公害による被害者たちが裁判を起しているのを見ますよね。水俣病やイタイタ病、エイズもそうですが、裁判に何十年もかかっているのもあるんですね。なかには判決がでないまま、亡くなっていく人もたくさんいます。

だいぶ前に大学生からきいた話ですが、たとえばAさんが論文に「ある薬害問題について」書いたとします。正義と情熱をもって、調べて、取材した内容のものであっても、不利になるものは却下されると聞きました。

不利というのは、真実を発表されて困るは、製薬会社と厚生労働省と医師会です。(エイズは厚生省がわかっていて隠してましたからね)
これもある医師からきいた話ですが、新薬がでると大学病院が臨床実験をしますが、医者は手術の数をこなして、地位が上がっていくそうです。すべての医者がそうではないでしょうけど。いくらひとの命をあずかる職業といっても、考え方としては、車のセールスとかわらないとのこと。(医者に殺されない心得の本が売れていますが)

アンジェリーナ・ジョリー乳房切除のニュースについて、はなしを戻しますが、だからといって、アンジェリーナ・ジョリー乳房切除はウソだといっているのではありません。いったんは疑ってみる、必要もあるのではないかということです。

わがやではBSテレビを見れるようになってから、チャンネルひとつで、知らない地球の果てまでみられようになりました。今回のアンジェリーナ・ジョリー乳房切除のニュースで、ああ、どんな情報もそのままニュースを信じるのではなく、「ちょっと、待てよ、そうかな??」といったんは疑ってみようとおもいました。

変だぞという疑いから、真実を知ることができた、わたしの経験をおはなしします。

時代劇の馬たちはほんとうにいたのか?

時代劇で馬に乗った侍たちが、戦をする場面がありますね。戦国時代の戦の激しいシーンをみて、ちょっと、変だぞ、戦をして馬が次から次に死んでいく、あの時代にこんなに馬がいたの?どうやって育てたの?だって、人間が食べ物がなくて飢え死にするくらいひどい時代に、馬のエサはどうしたの?

それに、人間が死んだ倒れているけど、あの死体はどうなるの?

これが不思議で不思議で、夫は歴史が得意だったそうですが、夫にきいてもわからないっていうのです。それで、図書館にいって調べましたら、わかりました。

時代劇ではたくさんの馬がかっこうよく出てきますが、実際は、あんなに馬がいません。それに馬に乗っていたのそんなに多くなくて、百姓たちが石ころを投げたり、していたそうです。百姓にとっては戦のための出張みたいなものです。

それと、死体ですが、死体の始末係りがいて、実家に届けたそうです。むかしの車のない時代に、どうやって運んだのでしょう。死体を何かにくるんで(着るものもない時代だから、死体をくるむものは何?)、引きずって?

時代劇をみてこのように不思議に思えたのは、いまから10年まえのこと、それまでは、教科書と映画でみたままを信じていましたが、真実を知ってから、映画も夫が歴史が得意だったということもあてにしなくなりました。

ちよっと待てよ、変だぞ・・・・、
自分の直感をたいせつにしていってください。
時代劇の馬と死体のことは、自分なりに調べてくださいね

 

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いいことをすればいいことが返ってくるの罠

2013年05月20日 | スピリチュアル

いいことをすればいいこと、いいことが返ってくるの罠

「いいことをすれば、いいことが返ってくると、ほとんどの人がそう思っているかもしれませんが、さいきんになって、この思想をわたしはいったい誰に教えられたのか・・・・。そして、「悪いことをしたら悪いことがことが返ってくる」と、いったい、誰に教えられたのだうか?

子どものときから、じいちゃんばあちゃん、父や母に、そして、学校の先生に教えられたのだろうか?
わたしの人生は、「いいことをすれば、いいことが返ってくる、悪いことをすれば悪いことが返ってくる」を信じ込んできましたが、当たり前といえぱ当たり前のことなんですが・・・。

いいことをしても、悪いことが起こる?!

わたしは、やっと、二年前に、宗教を脱会して、この呪縛から解放されました。
いいことしたら、こんなにいいことがあった!
もっと、いいことをして、もっと、いいことが起こりますように・・・・。
でも、いいことをしたのに、サイフを落とした。けがをした。子どもがいじめられた、人に裏切られた。給料が下がった・・・。こういうことっていくらでも日常に起こりますよね。

ところが、「いいことをすれば、いいことが返ってくる」、「悪いことをしたら悪いことがことが返ってくる」を信じ込んでいると、ますます、罠にはまります。その罠とは、自分の何がいけなかったのかと反省して、もっと、努力しようとします。ところが努力しているのに、悪いことが起こる・・・。

宗教をもっているひとは、ますます信心を深めて教団の神を崇拝していくような気がします。(わたしがそうでした)

でも宗教に限らず、占いも、神社のおみくじも似たようなものだとわたしは思います。
占いがいいと出たからよかった!
おみくじが大吉と出たから、よかった!
ところが、占いの「いいこと」も、おみくじの「いことも」すぐに消えていきます。なぜなら、人任せだからです。考え方によっては、宗教の信者は自分を罪深い人間として反省しますが、占いを頼る人は、人のせいにするひとが多いような気がします、

どっちにしても、いいことを強く求めると、その反動でささいなことでも「悪いこと」が起こったように感じます。

以前、ポジティブな感情も手放すと書きました。
いいことの対極には、悪いことがあります。いいことだけを求めて、いいことをよろこんでいると、悪いことが起ことすごいショックです。よく、宇宙にはいいことも、悪いこともない、「あるがまま」といいますが、わたしたちの日常はいろんなことがあって、いいことも、悪いことにも一喜一憂しないほうが安定していると思うようになりました。

「いいことをすればいいことが返ってくる」を教え込まれた大人たちは、、「勉強すれば、いい会社に入れる」と子どもたちに教え込んできました。そして、子どもたちはそれを信じてきました。結果はどうでしょう。ネットでみると、大人たちを批判する声がたくんあります。

ある専門家の見方として、日本の病巣として、子どものときに勉強したら、守られる、安心できると教えられた、その現れでもあると指摘しています、

「いいことすればいいことが起こる」は取引。
いいことをすれば、あの世にいってもいいところにいける、その反対に悪いことをすれば恐ろしいところに行くという、因果応報説がありますが、いいところに行きたくて、いいことをするのは、神と取引していることのようです。
とすると、大人は子どもたちとも取引をしたことになるのかもしれませんね。宇宙の神は取引をしないようです。近頃、因果応報はない、という解釈が多くなりました。

起こるできごとは、体験、冒険、バーチャルだと唱えるひとが多いですね。


 

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バラの花とカルマについて

2013年05月19日 | スピリチュアル

今朝のできごとを、バラの花とカルマにたとえでお話します。

そのできごとというのは以下のことです。
わたしのマンションのフエンスに、ツルバラが咲き始めました。淡いサーモンピンク色の、ミニバラでもなくそれほど大きくなく、つぼみを数えていませんが、30~40個あるでしようか。

バラって、つぼみから咲きかかった状態が、いちばん美しいような気がします。ここ数日、つぼみがちらほら開きはじめて、花がいくつか咲きだしたころに、風が吹いて、花ぴらが地面に落ち、バラの枝たちがだらしない状態になっていました。

ああ、かわいそうに、かわいそうに、とひとりごとをいいながら、バラの枝をフエンスにからませて、バラの花びらをきれいに拾いました。

枝が一本折れて、バラの花がしよぼんと垂れて、折れた茎は枯れかかっています。朝日がだんだな強くなるので、きっと、このままだと花は枯れてしまうだろう・・・・。そう思って、わたしは、この枯れかけたバラの枝を折って、自宅の花瓶にさしました。

花は息を吹き返したように、花びらいちまいいちまいに張りが出て、ほんのりとネーブルのような甘い香りがします。しあわせだな~。
よかった、よかった・・・。命拾いをして。
そう思いながら、あきもせず、花をながめて三日間、過ごしました。

バラがほしい、わたしの部屋にかざりたい
毎朝、近くの公園にいって、瞑想をしたり、スクワットをしていますので、このときに、必ず、フエンスのバラを見ます。このバラの性質なのでしようか、咲いたと思ったら、すぐ、散ってしまうのです。地面に花びらが散って、遠くからみると、テッシュか紙屑のように見えます。

今朝も公園の帰りにフエンスのバラを見ると、花が少なく、つほみも数えるほどしかありません。
せっかくの、つぼみたちが、木の陰にならないで人にみてもらえるよえに、フエンスを覆った木の枝を折って、ばらのつぼみを木陰から出してやりました。

かわい、かわいバラたち・・・。
わたしはパラのつぼみをみながら、ああ、わたしの部屋に飾りたい・・・と思いながら、でも道端に咲いている公共のものを黙ってとるのはいけない・・・・と思いつつ、ところが、木の茂みにひとつポツンとつぼみがあるではないですか?(バラは一本の枝につほみがいくつかついているが、この枝にはひとつだけつぼみがついていました)
あ! これだ!
わたしは枝をそっと折って、だいじに家に持ち帰り、ちいさい花瓶に飾りました。

バラの花を見て、これはいけないことだったのでは
気持ちが、なんとなく、罪意識になり、ネガティブになりました。

気持ちの切り替え、意識の方向を変えるレッスン
そうなんです。わたしたちは毎日、あれはいけないことだったのかと、反省したり、考え過ぎたりします。
そうだ、これもレッスンだ。
五次元意識で生きているわたしは、このバラのエネルギーをもらって、10倍のしあわせの一日にしょう。
バラだって、うれしいばず。そう意識したとたん、わたしは何にも恥じない、恐れない、
「特別なバラ」として、もともとわたしのために用意されていた、それをわたしが選択したのだと。

ちよっと、余談になりますが、このブログでもさんざん書いてますが「選択する」を書きます。
カルマってよく聞きますよね。
あの世の世界には、かならず「カルマ」が出てきます。
カルマって前世の罪を刈り取るとか、清算するためにこの世に生まれ変わってくるとか、いいますね。
ほとんどの宗教では、先祖のカルマもしょってくるとか、恐ろしいことを教えます。

なんで、パラの花とカルマのことを書くのかといいますと、わたしたちはこれが悪い、これは罪だ、と言っているのは、人間が作った定義、社会に洗脳をされたことなのです。

カルマという定義も人間が作ったこの世解釈なのだと思うようになりました。
宇宙にカルマは存在しない、というのが、わたしのアセンションをして知った解釈です。つまり、解釈は人間の数だけあります。
それで、今朝、カルマは存在しない、とネットで検索したら、たくさんヒットするんです

そのひとつのブログには「カルマは信じているひとに当てはまる法則。信じていないひとには効力が及ばない」とのこと。次が重要なことだと思います。魂の欲求が、あのとき、こうすればよかったと思って、この世に舞い戻ってくると・・・。※最近では、素粒子レベルで、この世はバーチャル、幻想、とぃった本がたくさん出ているようです。

つまり、本人の自由意思の「選択」であるということなんですが、わたしたちは、解釈も自由なのです。
だって、りんごの絵を描いたら、みんなひとりひとりリンゴが違うでしょう。
あなたの描くりんごは、宇宙にひとつしかないりんごです。そのりんごを「好き」を選択するか、しないかは、自由です。

今、目の前にあるバラの花は、宇宙。愛。
わたしの心も宇宙です。

*「カルマの妄想に汚されたひとを救え! といブログがありました。もし、カルマを信じて恐れている方は、カルマは存在しないで検索すると、たくさん出てきます。

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おカネがどんどん減っていく?どうしたらいい?

2013年05月15日 | スピリチュアル

近頃、わたしもそうですが。アセンション、アセンションといいますが、アセンションとは「恐れを手放す」ことですが、人間の恐れには、いろいろあって、なかでもいちばんの恐れは、おカネが減っていく、これはたいてのひとが抱えているのではないでしょうか?おカネは物質世界の善も悪もつくる強力なエネルギーではないかと思いますが。

で、わたしは今年に入ってから、仕事も減り、まあ、仕事が減るのは世の中の大半のひとが直面しているので、仕方がないとして。それで、意識上昇するには、「わくわくすることをしなさい」「好きなことをしなさい」と専門家たちもいってます。(何がたのしいのかもわからい、わくわくするものがない、というひとも結構おおいんですね)

それで、わたしのことなんですが、本を出そうという欲望もなくなり、自分の好きなことをして残りの人生を過ごすのもいいんじゃない?と自分でなっとくし、ほぼ、一日中、ギターを弾いて、緑の木の下で瞑想をしたり、夜は野球番組を見て・・・。そんなこんなの一日が過ぎていきます。

いいたいことはここからなんですが、
好きなことをして残りの人生を過ごすのもいいんじやない?と自分に言い聞かせているんですが、おカネが減っていく、恐れが多少出始めました。いくら、五次元意識といっても、現実はおカネの世界。う~ん。わたしは恐れを手放してアセンションするのだ、と宇宙に誓っていても、元の金額が減る一方だと、不安になります。

よく、宇宙って、心配したら、心配を引き寄せるとか・・・・、「ユダヤ人大富豪の教え」でベストセラーになった本田健さんも、いろんなスピリチュアル系の本に書いてありますね。

つまり、おカネの心配をするとおカネが入ってこない、ということのようです。

それで、思ったのですが、
おカネが減ったことより、おカネで何か買えた喜びを感謝する

世の夫たちもそうなんだろうと思います。
妻が家計のやりくりの大変さをグチるより、今日はこんなにおいしいおかずが買えた、おいしい、おいしいって食べたら、夫だってもっと働こって気になると思うんです。

宇宙の神様もきっと、こういうことなんだろなって・・・。
おカネが減ったことより、おカネで何か買えた喜びを感謝」をしようと
そんな考えをするようになってから、銀行からおカネを下してサイフに入れるとき、まだ、おカネがあった!、わあ、1000円札でこんなに買えるんだって。スーパーで買い物をしているときに、おカネをつかう楽しさが、なんだか子どもみたいな気分になりました。

おカネがどんどん減って、しまいに底をついたらどうするの?
こういう心配をする人が、世の中にはいるものなんですが、きっと、こういう人は、何事においてもこういうときはどうするのって? マイナス要素をつくるんでしょう。

おカネが減る不安より、おカネで買えるうれしさにしましょう。




 

 

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五次元意識

2013年05月14日 | スピリチュアル

毎朝、近くの公園にいって、
もみじの細かな葉っぱが無数に重なりあい、淡い木漏れ日がキラキラ光って降り注ぐなかで、しばらく立っています。

すごいエネルギーです。目を閉じていると、おなかの底から(チャクラ」、やさしい、なつかしいエネルギーがふつふつと湧いてきます。これが「無条件の愛」といわれている、宇宙の根源とつながるということではないかと思います。

チャクラということばは、ほとんどのひとが知っていると思いますが、わたしたちの身体の内側にチャクラと呼ばれるエネルギーセンターがいくつかありますが、チャクラは(光の輪)という意味です。地球や宇宙のエネルギーは、チャクラを通して体内に流れこむとされています。(運命のパワーストーン、PHP研究所より参照)

マヤ歴の予言のことがあって、とくに五次元のことばを目にすることが多くなりましたが、五次元、五次元て、なんだか特別の世界のように思ってしまいますが、最近になって、ああ、これが五次元の意識なんだなと・・・。

「わたし」という肉体を越えて「無」になる。わたしたちは、一瞬、一瞬、我を忘れるときがあります。意識が空の状態。心配もない、意味もない、条件もない、ルールもない・・・・。

五次元の意識は、だれでも体験していますが、これが五次元意識ということを知らないだけなんです。

物質世界の重い意識(悩み、迷い、不安)を上げて、意識を軽くする(悩み、迷い、不安をゼロ状態にする)。
つまり、意識のレベルを上げる。アセンションと言われています。五次元意識は、だれもが体験していますが、たちまち現実にもどされて、肉体思考になって、波動がどんどん下がっていいきます、

一年前に、知人がスピリチュアルのプロを養成していますが、講座に招待していただいて五次元セッションを受けたことがありますが、最近は自分でやっています。五次元意識はいつでもどこで体験できます。

あ、それと、数日前に、「あの世」のことをかきましたが、あの世は五次元のことのようですが、いろいろと解釈があります。

ある人のがブログでこんなことを書いていました。
あの世は10人10色の世界がある。
リンゴをイメージしたとき、みんな一人ひとり、リンゴの形が違うように、あの世も違う。

いい、たとえですね。わたしもそのように思います。

霊能者やチャネラーたちがいろんな本を出していますが、みんな、違いますよね。
ひとりの人の解釈を信じ込まないように・・・。

波動を上げて、気持ちを軽くして、この状態のときに、「何を選択する?」と自分と向き合ってみたらどうでしょうか。迷ったり、不安な状態のときは、いい答えはでません。

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母の日~ありふれた贈り物だけど

2013年05月12日 | スピリチュアル

今日、「母の日」のプレゼントに、夫がビール6本セットをわたしにプレゼントしてくれました。
毎晩、わしたが飲んでいる、いつもの発砲酒。値段にしたら〇〇円。
「ありふれたものだけど、感謝をこめて」と夫。

ありふれた贈り物。
でも、違う。
〇〇円は彼の労働と、今夜、帰宅が遅いために、出勤前にわざわざ買いに行ってくれた、思いが込められています。今夜、わたしは夫が「感謝を込めてプレゼントしてくれた」ビールを飲みながら、夫の働く姿をを思い浮かべて、じっくり、じっくり飲むでしょう。



ある家族の朝の食卓の風景です。

テレビは台風のニュースを伝えています。

父親「長野はすごい強い雨が降っている・・・」
母親「おばあちゃんとこのりんご、だいじょうぶな」
息子は「夏休みにおばあちゃんちに行ったとき、りんごの木に青い実がいっぱいついていたね」と心配そうにいいました。

小学生の子が作文を書きました。

きょう、「田」のかんじをならいました。
おとうさんとおかあさんが、たんぼではたらいているすがたをおもいながら
「田」の字をなんかいもなんかいも、れんしゅうしました。

想像すること、イメージをすることは、おもいやり、やさしさではないとか思いますが・・・。

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ペットを虐待したひとは?

2013年05月10日 | スピリチュアル

作家のよしもとばななさんがスピリチュアルの本を出している?と
はじめて知ったのは2年前でした。

その二年前というのは、わたしの身の上に悲しいくるしいできごとが起こり、宗教から救いを得られずはずが、宗教の教えがますすまわたしを苦しめ、なんとか、この苦しみから抜け出したいと思って、書店の精神世界のコーナーで、あれこれ本を手にとってみたものでした。

ちょど、このときに、よしもとばななさんのスピリチュアルの本を手にとってみました。

今、ネットで、よしもとばななさんを検索したら、「光のアカシャ・フィールド 超スピリチュアル次元の探求」を共著で出版されているんですね。ご自身の日記に、五次元のこと、前世セッションを受けたようなことをかいていましたので、スピリチュアルについて、かなり勉強されて、体験もされているのだと思います。

立花隆さんも、「臨死体験」を自ら体験し、あの世の本を出版されています。

作家は活字を通して、多くのひとに影響を与える職業ですので、もちろんご本人もわかっていらっしゃることでしょうが、慎重にことばを選んで書く責任があると思います。(わたしは作家ではありませんが、活字の力って大きいですから、慎重でありたいと心がけているつもりですが)

**

ある作家が、精神世界のことを書いた自身の本に、
「ペットを虐待したひとは、ずっと、苦しみから解放されないでしょう」といったようなことを書いていました。
これを読んで、わたしは、もし、読者がこれを読んだら、なんて思うだろう?
もし、子どもの時に虐待と知らないで、あるいは、自分が動物がきらいだったとき、・・・・、ペットや動物を無残な目に合わせた・・・(蹴とばした、ぶった、動物を捨てた・・・)など、いろいろと思い出すひとがいるとしましょう。

ああ、あれば、虐待だったのか・・・と、このことばにひどく傷ついて、それが、トラウマになるひともいるということです。

わたしがいいたことは以下です

わたしも子どもの頃や、まだ、世の中のことがわらなかったとき、ああ、あれは生き物を虐待したのだ、ああ、あれはわたしは泥棒をしたのだ・・・・、人から借りたものを返さなかったことなど・・・思い当たるがことがたくさんあります。
そして、宗教に熱心になればなるほど、罪意識に苦しみ、神に許しを求め、ますます、宗教に深まり、深まれば深まるほど、自分の過去にやったことが罪に思え、たましいを清めるための修行に励んでいったわけです。(参拝、献金、奉仕活動、ゴミ拾い、感謝・・・・)

それで、一年前に、わたしが宗教を脱会して目覚めつつあるときに、スピリチュアルのプロの方と知り合い、わたしが清いこころになるために、10年間(20年かな・・・)取り組んできたことを話したたら
「ぼくだったら、一日でできる」というのです、
つまり、悩みや苦しみの縛りを解放するーー心やたましいを宇宙的にする、意識上昇、アセンションです。
(宗教で体験したことは、それはそれでわたしの今生の貴重なできごととしてとらえていますが、ただ、期間がが長すぎたと思ってます)

本題にもどしますが、
「ペットで虐待した」と思い当たる人は、
もしかして、いつか電車で老人に席をゆずったかも、席をゆずるって当たり前のことのようだけど、席をゆずってもらったひとは口には出さないけど身体の具合が悪くて立っているのがやっとだったかもしれない

ちいさな子どもに笑ってあげたかもしれない(子どものいる母親は、自分の子が人に迷惑をかけるんじゃないかとハラハラしているんですね、誰かが子どもに笑顔をみせてくれるだけで、母親はすごくうれしいものなのです)

ささいなことでも、誰もがみんな、ひとをしあわせにすることをやっているのです
その反対に、ペットに限らず、過去に、人を悲しませることゃ苦しませることをやっているのだと思います。だって、自分にとって、ささいなことでも、たった、一言でその人は、ずっと、ずっと、苦しんでいたかもしれないのです。

みんな、おたがいさまではないでしょうか。
ひとの良し悪しの判断をしないこと
おたがいさまと思えないひともいるかもしれません、自分の方が、ずっと、苦労をさせられた、裏切られたと苦しんでいるかもしれませんが。
いま、ここであえてわたしが言いたことは、街を歩きながら、ああ、あの人も過去にペットや生き物を虐待したかもしれない、人をだましたり、ウソをついたかもしれない・・・・。人間てみんな、同じなんだな~って。人の良し悪しをしないことです。

前世のこと、あの世のこと、カルマのことをいろいろ書いた本が出ていますが、そうした本にとらわれることのないように・・・、過去にいかなることをやったとしても、罪というものはありません。すべてが体験、冒険だと、わたしはそのように解釈しています。解釈はひとの数だけあります。
解釈の自由です。だから「わたし」が存在するのだと思います。


 

 

 

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あの世というより、五次元世界

2013年05月09日 | スピリチュアル

ヤフーの質問に

「あの世ってどんなところ?死んだらどうなるの?」とありました。。
いろいろな人が答えていますが、答えをみているだけでも、いろんな解釈があるんだな~と参考になります。

それで、ああ、いいな~と思ったのは、
「この世だって、いろんな人がいて生き方も違うのだから、あの世だって、みんな違って当然だろう」と答えています。

それと、最近知ったことですが、死後の世界を「あの世」と言わないで、「五次元」で表現していますが、これは、物理学や素粒子からきているようです。
それと、最近は、この世は、バーチャルリアルティということばが流行ってますが、(一般的にはまだ知られていないかもしれませんが)、ITにくわしい人たちは、この世の仕組みをパソコンに例え、現実世界をバーチャル、仮想世界といってます。ゲームに親しんできた若者たちは、この世は幻想、ゲームをしているということにあまり抵抗がないようです。

50代~より上の世代の人たちは、あの世や死後のことを、人に聞かされたり(わたしもそうですが、映画や本、霊能者のことを信じて、恐れを抱いているのではないかと思います。

NHKテレビが、「天国からのお迎え~」を
これまでは単なる幻覚だとして片づけられてきました。
しかし今、終末期の医療現場で注目され始めています。
と、亡くなりかけた人が実際に「天国からお迎えにきた」実例を紹介しました。

それで、毎日新聞に「あの世」のことをもっと報道せよ、と書いてありましたが、
ある調査によると、3人に一人があの世を信じて、3人に2人があの世を信じていないとのこと。それで、最近は長寿の本や「がんは治る」といった本より、「あの世」の本が売れるそうなのです。それと、最近、「医者に殺されない」本が売れているんですね。

医者も信じられない、寝たきりでいたくない、というなれば、誰かじゃないけど、さっさと、あの世にいった方がラクだということになるんでしょうけど、あの世ってどんなところ?、おそろしいイメージしかないと、死は怖い・・・。

というわけで、これからはマスコミも、あの世のことを正しく、ふつうの番組として紹介してほしいと思いますが、毎日新聞の記者が「あの世のことをもっと報道せよ」といったのはこのことも含まれているのではないかと思います。

たしか、東大のお医者さんが「人は死なない」の本を出して売れました。今も売れ続けて、二冊目が出たようです。

あの世を信じるとか、信じない以前に、死はみんながいつかかならずで経験するわけですが、3人に2人があの世を信じていない、というこのようですが、さて、あなたは?

あの世というより、これからは五次元世界、多次元を物理学者たちが証言していくでしょう。それと、あの世とこの世を自由に行ったりきたりできるような時代がそう遠くないと思います。(現実にいまもたくさんのひとが経験していますから)
それと、あの世の人とも、携帯電話なんかで交信できる時代がくるような気がします。人間が月に行って月と交信できるなんて、むかしは誰が想像したでしょう?

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バシャール~わたしが死んだらどうなりますか?

2013年05月07日 | スピリチュアル

昨日、あの世についてのわたしの考え方を書きましたが、たまたま、夜、寝るとき、パーシャルの本を開いたら、「私が死んだらどうなりますか?また、人間としてここへ戻ってくるのでしょうか?
と書いてあるページでした。

バシヤール(ウキペディア)というのは、スピリチュアルの世界に関心があれば、知らないひとがいないといっていいくらい、多くの日本人に影響を与えたようです。

わたしもそのひとりですが、わたしが宗教を脱会するきっかけになったのも、バシャールの本のたった一行でした。これが直観、直感?ということかもしれません。

バシャールを知る前は、書店で精神世界のコーナーでいろいろと本を手にとってみましたが、どれもしっくりきませんでした。よくテレビに出ていた霊能者とよばれている、あの人たちの本は、ハッキリいってわたしのハートが受け付けませんでした。

カルマとか、魂の修行とか、あの世で反省とか、先祖の罪とか・・・。こういうことばを使っていると、わたしとしてはパスです。それで、ネットで調べていくうちに、「バシャール」にたどりつきました。そして、バシャールの本を、アマゾンで210円(中古本)を購入しました。

わたしは精神世界の本を三冊、持っていますが、「神との対話」(これもアマゾンで100円)、「意識の宇宙のアリス」(1800円)、そして「バシャール」。二年間でこの三冊を何回も、何回も読んできました。

最近は、寝る前にふとんの中で、どれかの本を選んで、パッとページを開いたところを読むくらいですが。ゆうべ、そのパッと開いたページが、バシャールの本の64ページです。

質問 「私が死んだらどうなりますか?また、人間としてここへ戻ってくるのでしょうか?」
と書いてあるページでした。

バシャール もし、戻ってきたければそうなります。他の世界に行ってその文明の一員になることもできます。もくわ、肉体を持たない魂として 残ることもできます。もしくわ、別の意識レベルに行くこともできます。

この地球上のみなさんは、何回も何回も戻ってくるのは、自分自身で制限をつくっていて、本当は自分は自由でどこにでも行けるんだということを、自分で知らないからです。

こういう質問に対しても、どういう質問に対しても、覚えておいてほしいのは、常にいつもそれを選択する力を持っているということです。それを覚えていれば、自分の行きたいところへ行けます。

**本より抜粋

実は、この本は薄い小さな本なので読みやすくてを何回も読んできたのに、本から抜粋した黄色の部分を、読んだ記憶がないのです。ゆうべ寝るときに、たまたま開いたページにこのように書いてありました。

これも偶然と言うより、わたしにとってのタイミングというものでしょう。 

この地球上のみなさんは、何回も何回も戻ってくるのは、自分自身で制限をつくっていて、本当は自分は自由でどこにでも行けるんだということを、自分で知らないからです。

一般的に、生まれ変わってくるといいますが、バシャールは戻ってくると表現しています。
それと、「自分自身で制限をつくっていて、」のこの部分ですが、ほとんどの人は、生まれ変わってこの世に修行にきた、カルマの清算のために生まれ変わってきた・・・・。
つまり、自分で自由にどこへでもいけることを知らないから、生まれ変わっている、ってこと?

な~んだ、自分で選べるんだ。(さいきんはこのように言っている本が多いです)

神の審判だの裁きだのって、恐ろしいことばだと思います。その大本は宗教にあるとわたしは思います。とくにわたしはある宗教にかかわっていたのでそのように思うのかもしれませんが。
宗教の教義は制限そのものだと思います。(正しくないということではありません。神とひとを近づける職業でありながら、神を遠ざけたと神との対話の本に書いてありましたが、共感できてほっとします)。

宗教に限らず、世の中のルールそのものが制限によって社会を統一しています。

あの世の話から、バシャールのことばを引用しましたが、わたしがここで言いたいことは、人はみな自由であるということ。自分が選択できるということです。
制限されてきた、といっていいでしょう。誰かの本を読んで、恐れたりしないでください。自分に合った本、解釈を選んでください。

 

 

 

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あの世は? 自分にとって心地の良いものを選択する

2013年05月06日 | スピリチュアル

 NHKクローズアップ現代で「天国からのお迎え」(2012年8月29日)特集をしていたことを、つい最近知りました。それにつづいて、毎日新聞「あの世を報道せよ」(2013年04月02日 東京夕刊)をネットで見つけました。

「あの世」はあるか、ないか、これははるか昔から人々の根源の問でしたが、わたしのように子どものときからあの世のことを教えられて、さらに、このブログでも書きましたが、わたしが東京に出てくるときに、母が娘を心配してお守りを持たせてくれた、そのお守りの宗教にどんどん深まって、「霊界」のことをさんざん教えられて、一年前にやっと、その宗教を脱会したわけです。(人生の三分の2に近いくらい、神、先祖、霊をい意識した、教義に縛られ)

そうしたわたしが、NHKも毎日新聞も、肯定的に「死後世界があって、亡くなった人が迎えにくる」と取り上げる、時代がきたなって・・・感じです。いいことだと思います。

これからはきっとメディアでも死後世界、あの世探索のことが、ふつうのできごとのように取り上げられていくと思います。

それで、あの世、死後世界の本は、たくさんたくさん出ていますが、本によって、ほとんどが同じようなことを言っていいるのもあれば、まっく違うのもあります。たとえば、三途の川ってきいたことがあると思います。あの世にいくときに、三途の川を渡るの意味らしいですがですが、この三途の川を、あるという人、ないという人がいます。これひとつとっても、大変な違いですよね。

わたしが、何がいいたいかと言いますと、
あの世の解釈は、みんな違う。ということです。
うのみに、ひとつの本を信じこまないようにしてほしい、わたしの願いです。

いま、ネットでいくらでも調べることができます。あの世の解釈は、ひとつ間違うと、危険です。
では何が正しいか? これだけはハッキリいっておきたいと思いますが、正しいという答えはありません。立花隆さんも自ら体験した臨死体験の本を出しています。でも、立花隆さんのフィルターを通していますから)

自分にとって、心地のいいもの、それを選択する。(信じ切ることではないです。選択です)
選択することこそが、自由、意思決定する「わたし」の表現だと思います。

なぜ、このことがいえるかといいますと、わたしは、二年前に、つらい苦しい出来事がありました。長く所属していた宗教はますます、わたしを苦しくさせました。そんなときに、斉藤ひとりさんの本に出会いました。
゜春風のようにここちのいいものが答えです゛、と書いてあり、このことばにどれだけ救われたかしれません。

自分にとって心地のいいものがこたえ、とネット検索すると、「心地のいいことが答えと」と書いているブログはたくさんあるんです。それから、あの世のいろいろな考え方があることを知りました。

それで、あの世のことも、宗教で教えられてきたあの世とすごい違っているのです。何がどう違っているのか、たとえば、霊界の階層が何段あって、魂の基準にそってで振り分けられ、善得を積むと高いところにいく・・・。できるだけ高いところにいきたく、神に愛されるように、いいことをいっぱいしょうと思うわけです。

考えてみると、この霊層界の高い、低いを人間が作り出した、この世的な考え方だと思います。

あの世の答えは、いくつもあって、わたしが思うには、人間の数だけ答えがある、宇宙的に表現するなら星の数だけ答えがある。自分はあの世はこうだと思う、イメージする、それが、自分のあの世だと思ってます。

最近では、この世はバーチャル、幻想、神の遊び、地球は遊園地、
あの世は、パラレルワールド、時間と空間がないので思ったことがすぐ目の前に現れる、自分の行きたいところに行ける、とたくさんの人が証言して、物理学者たちの書いた本もたくさん出ています。

話がそれますが、わたしの知人で、スピリチュアルのプロを養成している人がいますが、アセンションとかいう、あれをやって、彼女はあの世にいったら「自分の惑星をつくる」というのです。どうやら、今も肉体を持ちながら、高い次元にいったりきたりしているようですが、そいう人が、いますご多いですね。

さて、世の中が高齢化して「あの世」は他人事ではなくなりました。
わたしの経験からですが、神を求めて、求めて、たどりついたところは「自分」なんです。
なんだ、神?はこのわたしなんだって。宗教の教祖でない。自分です。

今、触っているパソコンも携帯電話もあの人も、あの木ももすべてが神だそうです。わたしもそう思えたから母の持たせてくれてお守りをすんなり首から外して、宗教を脱会できたのです。、

ちなみにわたしも五次元に自由にいったりきたりしたいので、かんたんにしかも安全な方法を探しているいるところです。なぜ体験したいかと言うと、宗教で教え込まれてきた死後世界と、最近知った死後世界があまりにも違うので、自分が体験して自分の目で確かめる?方が納得できるとおもうのです。

それと、姉と同じ宗教を信じてきましたが、わたしは脱会ましたが、姉はいまもって熱心な信者です。わたしが五次元をみて体験すれば、宗教の縛りにあって抜けられない人を解放してあげれるのではないか、それも理由のひとつです。それと、自分の未来の住むところを下調べしておいた方が、安心ですからね(笑)

最後にもういちど繰り返しますが、あの世のことをたくさんの人がいろいろと言っていますが、
自分にとって心地のいいもの、それを選択する。(信じ切ることではないです。選択です)
選択することこそが、自由、意思決定する「わたし」の表現だと思います。「わたし」は宇宙です。自由です。

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