福知山線の事故はなぜ起こったのか。なぜ、若い運転手は、そんなに急がなくてはならなかったのか。転覆、脱線するほどのスピードで。
なぜなのか。そこのところが、ほとんど触れられない。裁判は、カーブの安全性について、社長の認識があったかどうか、などと、本質を外したものになっている。
なぜ、運転手が急がなくてはならなかったのか。ここを、マスコミも突っ込もうとはしない。若き運転手は、事故で亡くなっている。本音は、生の声としてはきけない。だが、状況が全てを物語っている。
なぜ、急がなくてはならなかったのかである。
そこには、犯罪的な厳しい懲罰的な労務管理があった。ここにこそ、問題の本質がある。若き運転手を、急がせた原因がある。労働者を人間扱いしない、ひどい労務管理が背後にあった。
彼は、そのために急がなければならなかった。とすれば、どういう労務管理だったのか、若い運転手の心理がどのようであったのか、経営陣の労務管理についての考え方はどこからきていたのか、などなど、組織としての問題点が浮き彫りになったはずである。
ポイントを外した裁判をみていると、事故の本質がなにも明らかにされていないことが、明らかであるのに、それ自身が問題にしようともしないところに、日本の病根の深さを感じる。
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