社長の独り言

資産運用コンサルタントの社長日記です

日本サッカーの父

2007-06-07 00:34:26 | 日常
昨夜、日本オリンピック代表が最終戦を勝利で
飾り、2次予選進出を決めました。
今でこそ、オリンピック出場は当たり前の感がありますが、
昔の日本サッカーでは夢のようなものでした。
今の日本サッカーの原点を作った人、
それがデットマール・クラマーさんです。

昭和43年のメキシコオリンピック。サッカー日本代表は、
南米やヨーロッパの強豪国を次々と破り、見事、銅メダルを獲得した。
しかし、その数年前まで日本サッカーはアジアのチーム相手にも勝てず、
どん底の状態にあえいでいた。それを勝てるチームに変貌させたのが
ドイツ人コーチ、デットマール・クラマー氏だった。
自国開催の東京オリンピックの強化のために来日したクラマーは、
代表選手の技術の未熟さに愕然とし、基本技術を徹底的に叩き込んでいく。
そうした中で、クラマーは日本人の体格や性格の特徴を活かした
チームづくりを目指していく。その指導は、指導者の育成にもおよんだ。
クラマーの指導によって生まれ変わったサッカー日本代表は、
東京オリンピックで強豪国のアルゼンチンに勝利。
クラマーが去った後、監督やコーチは、選手の特徴を最大限に生かした
必勝パターンを見出し、4年後のメキシコオリンピックで
見事銅メダルに輝いた。

クラマー氏の名言

来日早々、選手が合宿している旅館に選手と一緒に泊まると言い出した。
当時の通訳だった岡野氏は
「寝る時はベッドではなく布団です。食事も全て和食だし、
朝食は、納豆に生卵、焼き鮭で食事が合いませんよ。
ホテルを予約してあるので、そちらに宿泊して下さい。」
と説得した時、クラマー氏は
「選手一人一人の個性を知らずして、どうしてよい指導ができるんだ。
コーチは常に選手と共にあるべきだ」
と選手と一緒の旅館に泊り込みました。

また、夜選手が寝た後は、選手の部屋を廻り、
布団を剥いでいる選手の掛け布団を
掛けなおして廻ったそうです。

東京オリンピックが終わり、ドイツに帰る時、
次のメキシコオリンピックに向け
日本チームへメッセージの残しました。
「タイムアップの笛は、次の試合へのキックオフの笛である」

クラマーさんは、今の日本サッカーを作った父であり、
偉大な指導者、そして人格者でした。
日本を愛し、日本人を理解し、日本人に合った
サッカーを作りました。
それは、今の代表監督オシム監督の方針に重なります。
オシム監督も、日本人に合ったサッカー、
俊敏性、スピードを掲げチームを作っています。
40年の歳月を経て今、日本サッカーは
オシム監督という指導者の基、原点とも言うべき
クラマー氏の想いを受け継いでいます。

最後に、クラマーさんが日本でサッカーをする人達に残した言葉です。
「私はサッカーを好きなのではない。心から愛している。
なぜならば、サッカーは少年を大人に育て、大人を紳士に育て上げる
スポーツだからだ。」