E表現研究所の「Eから始まる」

E表現研究所所員の、E生活やE活動を自由に語り合うサロンです。

インドINアジァ・パワー   

2009-12-22 18:46:07 | アジア

【インドinアジアパワー】びっくり星★★★★★

びっくり仰天、アジァ、パワー。インドだー。

インドに来てから、半月が過ぎた。底知れぬ大地。

中国やスペインやフランスやイタリアやメキシコで見た地平線がドカーンと広がっている。

歴史人物を見ると、こういう場所で育った人間が世界を動かしていると、改めて思う。私も幼少期にこういう場所で過ごしたらもっと、社会貢献できたのではないかと残念でならない。

日本はセセコ(せせこましいのTTTの造語)だ。

言葉なんてなんでもありと思う。この際TTT語を作ってしまおう。

人間勢いがあれば、言葉なんて無くっても通じる。

ヒンディー語なんて、逆立ちしても何にも分からない。

一応英語が通じると言うがなんてことはない、殆どヒンディー語だ。

ドラえもんやおじゃる丸やディズニーをテレビで観た。もちろんヒンディー語。想像力100%全開。

この際TTTの専門である「表現」がどこまで通じるか試して見たいと思った。12月4日のE表現研究所の冬のパーティー「みにくいアヒルの子」の無料プレゼントの言葉を連発してみようと思った。いい感じ。

サンキューとナマステ。それでなんとか、生きていける。

ところが私の意に反して、コカコーラーの氷入りを飲んでしまい、胃がムカムカして、「アジァ・パー」寝込んでしまった。インドの衛生状態が悪いのではなく、私の胃がインドに合っていないだけだ。だって、インド談義が面白くって久しぶりに、するめイカを見て嬉しくなって食べすぎて、次の日はダウン。もちろんイカは日本製である。

やっぱり、私の胃の関係でインドのせいにしたら申し訳ないと思った。

おかげで、今、始めて、養生しながらパソコンにゆっくり迎えることができた。

12月6日の早朝タクシーに乗ってから、あっという間の半月だった。

私には小さいときからずっと不思議なことが2つある。

   ①なぜ女に生まれたのか。

   ②なぜ日本人なのか。

①については、大学で専門を選ぶときに、素敵なTS教授に出会った。

尊敬している先生のように生きていきたいと思った。先生と遠くまで発表会を見に行ったり仲間とも必死にスタジオに通った。学生時代が人生で一番輝いていた。勢いがあった。先生は小学生のお子さんを育てていらしたが、上手に育児と仕事を両立していた。ご夫婦も仲良しだった。それも、学ぼうと思った。

先生が「女がいいのよー」と、教えて下さった。大きな収穫だった。

母校のH高校の名物学園長が、大学合格した日に私に電話をくださった。

「お前が受かって嬉しい。ええか?大学行って、名伯楽に出会えよー」

頭から離れなかった。

どの生徒にも厳しかったけど、思春期で迷える私を愛情を持って育ててくださった。

その名伯楽はTS教授であった。多くの方々に出会いいいことがいっぱいあったけど、このお二人は特別な恩師であり、私の中の偉人である。

今度3月にE表現研究所でTS教授の講演会を企画している。

一人でも多くの方々に先生の貫録あるオーラを浴びていただきたくて

企画した。先生は去年ブラジルまで招かれて行かれた。

その時の紀行文をG雑誌で拝見した時には、生き生きした若さを感じた。

女性は年齢ではないと悟った。

私は、出会って以来、女性の特性を生かす「表現」に夢中だ。

今回も出国前に先生から貴重なアドバイスを頂いた。

表現研究に弾みがついた。

女に生まれて、つくづく良かったと感謝する。

また、今回の旅行の前に高校の同窓会で兵庫に行った。たまたま5年ぶりに会う仲良しの同級生S君のお勤めの飛行機に乗ることを話した。

「女一人でようそんなとこ行くなー」「エーちょっと心配だけどね。」

「よしワシが成田に連絡してよう言うといたる。まかしとけ」

と言われた。

飛行機に乗ったとたんに、おエライ男性やスチュワーデスさんが挨拶しに来てくれた。S君からの飾り付きワインボトルがお祝いに届けられた。海外に理解ある男性はおしゃれな方が多いと思う。

女で超ーラッキー。

数年後同窓会でS君に伝えたい。私にしてみたら、兵庫に行くのもインドに行くのも同じこと。インドなんて日本の庭のつもりで行くからね。また何度も来たい場所よー。それにしても君はいつも優しかったよね。だからみんなから慕われるのね。ありがとう。

②について「なぜ日本人なのか。」

20歳の時に、成人式のお祝いと称して、H高校の同級生Nと女ふたり船に乗りクルーズの旅をした。アメリカ船に乗って、台湾・香港・マカオ・フィリピンを周った。

毎日がパーティーで、フルコースで豪華な経験をした。

たまたま今同じ時期、彼女は娘さんの出産の手伝いに

長期にニューヨーク滞在する。
ニューヨークに一緒に行こうと、誘われたが、残念ながら

こっちはすでにインド行きが決まっていた。

日本はセセコだ。チャンスがあれば広い海外旅行を続けていたい。

今までに私は27カ国は旅をしたと思う。

どこの国に行っても、

「もしこの国に生まれていたら・・・私はどんな生活かしら」と想像するのが癖になっている。

インドやパナマやメキシコやペルーやコスタリアなど、貧富の格差が極端に激しいお国では、想像さえ生活自体が限定できなかった。

パートナーからはいつも

「きっと、お母さんは、お手伝いさんだね」と、冗談交じりに言われた。

苦しい貧しい家に生まれると、一生貧しいままである。

インドのカースト制度は今も健在のようだ。

インドに来て、何人ものお手伝いさんに出会った。

インド人や難民のネパール人やフィリピン人。安い給料で働いている。自分の子は故郷において都会で働いているインド人もいる。すごい。

込み合う車の列に入り込んで、栄養失調のような赤ちゃんを抱いた、か細い腕の少女が車の窓ガラスをたたいて「お金ちょうだい」と言っている姿が痛々しい。

中南米では「お金ちょうだい」グループは、裸足の少年が多かった。アフリカのモロッコでは、車の行きかう場所ではなく、 建物の軒下で日向ぼっこをしている女性と赤ちゃんに出会った。一応、安全な場所だった。

インドは信号が少なく、多くの車が赤ちゃんを無視してスピードを上げている。おっかなくって、運転歴の長いゴールド免許の私にも絶対無理。危険極まりない。

牛が神様の乗り物で道路を悠長に横断すると車が一斉に止まってあげている。
少女や赤ちゃんより牛が一番なのだ。

牛を傷つけたら大変な目に合うようだ。だから、宗教上、神聖な牛肉は一切食べない。とり肉や野菜入りのカレーばかりだ。もちろん味付けは毎回違う。

昔、中南米に住んでいた時に、スペイン語学校の友人イスラエル人Jを我が家に招待した時に、不浄な(豚肉はしっかり火を通さないと危ないから)豚肉を一切食べなかった。牛肉を食べていた。ユダヤ人の宗教観だ。

逆に彼女の家に招かれた時、すべての料理にめちゃめちゃ青いライム(レモン)を振りかけていた。母国を失ったユダヤ人は、緊急時にいつでも逃げられるように健康を第一に考えていた。お金は一夜にして紙切れになった経験が何度もあったらしく、財産を宝石に換えていた。

毎月ダイヤモンドが大きくなった。身につけてすぐに逃げれるように準備する習性があったようだ。

またある時期には、私たち夫婦が、日本に留学してきたインドネシア人Rの身元引受人になったことがある。日本のママである私が日本のフランス料理店に招待した時、殆ど何も食べなかった。イスラム教の彼女も豚肉ベーコンハムを一切口にしなかった。フランス料理はポタージュにしたりミルフェージュやパイにしたり、素材を分からなくするから、疑心暗鬼でフォークの先でつついていた。可愛そうなことをした。

どうしてこんなにお国によって食文化が違うのだろう。

どうして日本人に生まれたのだろう。

今のセセコな日本と違って、インドは今どんなに貧しくても、この貧しさが将来きっといい思い出になる日が来ると感じた。

日本人は人口密度が高くって人に囲まれているのに将来は寂しくって、じっと動かず、寂しさがトラウマになってくるだろう。
まるで、思春期の学校のクラスの中で、友人が周りに存在しているにも関わらず、クラスメートの中で寂しく感じている子が増えている。
その日本全体版が始まっている事に大人は気付いてほしい。老若男女に、寂しい人々が増えている。

だって、インドに来ての第一印象は、

「大地が動いている・人間が動いている」だった。

どんなに貧しい人も生き生きと活動している。

海外から日本に帰ったら日本は動いていないと毎回、強く感じたものだ。

後、10年後には今の逆転でインド人が日本人のお手伝いさんを雇う時代が来ると実感できた。
居眠りして動かないで老いていく日本人をなんとか若返らせなければ・・・・

1999年に中国の上海を私が旅した時、日本人が謳歌していた。

当時の中国人は貧しかった。今、逆転しかかっている。

あの時と同じ感じがインド国にもある。日本の子どもたちをどうにかしないと・・・・。教育にアイデアを出してなんとかしないと、このままでは日本は沈没するだろう。
10年後きっと、答えが分かる。2019年がどうなっているか?

海外に出ている会社も日本の会社同士が競争していてはだめだろう。
このままでは情けない。
なんとか日本中が協力して、国際的に向かって一致団結して世界をまとめなければ、痛い目に合うだろう。

そんなテーマで会話を熱く語っていて、イカに胃をやられた。
とほほ・・・。

どんなに体調を崩そうと、苦あれば楽ありで、インドも楽しい。

病気が治るたびに私の免疫力は強くなっている。

私の心臓にも、毛が生えてきたようだ。だけど、代わりに髪の毛がどんどん減っている。どうして、どっかにいっちゃうのー。

「びっくり仰天アジァ・パー、髪の毛~待て!」

TTT滝井なみき

 

 

 

 

 

 

 

 

 


またインフルエンザ

2009-12-22 01:14:16 | ダイアリー
誕生日のサプライズがあった夜、
娘が熱を出した。咳をしていたし、少し調子が悪いようだったから、
薬局で感冒薬を買って帰ったけれど、薬局の人も新型インフルエンザだと使えない薬があるからと、漢方薬を勧めてくれた。

私がいるときでよかった。
離れて暮らしていると、1番気にかかるのが健康のこと。食べることはなんとかなっても、病気になるのが心配だ。
熱を出したと聞けば真っ先に飛んでいくが、偶然にもそばにいた。

ちょっと具合が悪いかなというときに、私の誕生日の準備をしてくれたのだと思うと切なかった。
一人暮らしというのは人を強くするのか、微熱でも大騒ぎをしていた娘が、38度の熱でもたいしたことがないと言った。
さすがにインフルエンザを疑い、翌日病院に行くことにした。

「ママは帰っていいよ」
電車で病院まで行くと言う。
「だめだめ。冗談じゃない」
声を荒げて諭さなければならないほど気丈に振舞おうとするので、たくましいのかアホなのかと思いたくなった・・・

受診したら、やっぱりインフルエンザだった。

前の週、下の娘が罹ったが、離れて暮らしているのに、今度は上の娘が・・・双子ならありそうだけれど。

とりあえず、飲み物と食べ物を買い込み、薬を飲んでゆっくり寝ることだと言い聞かせ、家に帰った。

「ママは帰っていいよ」
狭い部屋に二人でいるのは良くないと、一人のほうが楽だと突き放されたのだけれど、本当はどうだったのかな。

帰ってからも気になって仕方がなくて、何度も電話したりメールしたり・・・なかなか返信がなくてヤキモキしたが、2日目には熱が下がり、やっと安心。
せめてもう一泊してくれば、こんなに心配で仕方がなくなることはなかっただろう。

一人で頑張る娘が愛おしかった。

      (M.H