季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

題名

2014年10月21日 | 音楽
サンサーンスの白鳥は白鳥を表しているか?それは違う。誰かが静かな夕暮を想っても良いし、山の頂きを想っても良い。

つまり音楽には何ものかを具体的に示す作用などは無い。

ただ、何かを表しているのではないかと思い込んだ人たちが大勢いる。そこで題名が付いた曲に人気が集まる。うん、これは運命だ、あれはイタリアだと。

作曲家が何も思わなかったのではない。だから厄介なのである。作曲家が何を想ってもそれは単なる寝言と似ていると言えば暴言に聞こえるが、他に言いようはない。

ベートーヴェンがソナタのスケッチにドン・ジョヴァンニが騎士長を殺した後の音型を書きつけたからといってそのソナタは死を表したものでもないし、同じ曲に詩人が湖上の月を想っても、月光である必要はない。

と言うと音楽は難しいと思うのだろうか?逆ではないか。