季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

人間ピラミッド

2014年09月23日 | その他
つい先頃知ったのだが。
運動会での注目種目に組体操があって、人間ピラミッドの高さに挑戦するのだという。バカバカしくてコメントすらしたくないね。

聞けば骨折事故も起きているというではないか。それでも続くところを見ると「教育的効果」とやらがあると見做されているのかな。もっと悲惨な事故が起きてから反省するのだろう。こんなことは本当に必要か、とか有識者とやらがコメントしてさ。 

大体が、これをすれば人はこう育つ式の思い込みが多すぎる。

音楽を習えば情緒豊かな人間に育つ。野球をやれば忍耐力がつく。等々。

どれも正直に見てごらん、決してそんなことはないと認めざるを得ないから。

音楽人なら僕もよく知っている。情緒豊かなどころか情緒欠落症がやたらに多い。それも「上手に」なった人ほどその割合が高くなるのは一体何故かね?

まぁあまり遠くまで行かないようにしてピラミッドに戻ろうか。

組み体操の面白さは認めたって良い。僕は昔は体育の時間だけはサボりたくない口だったから素直にそう感じる。ある程度学校の中で行われることに理解を示しても良い。

でもこんなのは4段位までをやっていれば良いと思う。一途に10段や11段の記録に挑戦していくものではないだろう。

個人的に記録に挑戦することは構わないが、学校をあげてというのが、あえて正直に書くと、不健全なのだ。不健全などという言い方になるのは上に書いたが、教育的配慮とやらがプンプンするからさ。

理論家?によると一番下の人には200kgを超える負荷がかかるという。潰れたら骨折で済めば運が良い方ではなかろうか。

どうも教育となると見境がなくなるとしか思えない。素手で便器磨きなんていうのも「目をキラキラさせて」実践させる教師が多くいるようだし。こちらは便強会と言うんだってさ。

なぜそこまで過激化するのか、僕にはとんと見当がつかない。

そのうち屋上から飛び降りるなんて言い出しそうだ。何にだってひと理屈付ければそれらしいものが出来上がる。