”お二人様の老後”


 年寄り夫婦の”日常”や”戯言”そして”泣き言”を書き連ねてみます。

”その日暮らし” は難しい。

2010-11-13 16:01:58 | 生活

 不景気、就職難などと経済的に難しいことが言われている時に「その日暮らしは難しい」などといったらしかられるかもしれない。 
 しかし、ここで言おうとしている”その日暮らし”は経済的な問題は別にした
、精神的、心理的な意味合いでの”その日暮らし”である。 
 つまり、「将来の希望、展望」などというものを持たないで、「一日一日をその日限りで生きていこう」というのである。
 先のことに関して予定や計画をたてたりもったりすることなく、その日その日を”出たとこ勝負”で暮らして行こうというのである。
 しかし、そんな暮らし方はあやすそうでいてなかなか難しいことのようである。

 どうして、そんな”暮らし方”を思ったかと言うと、極めて些細なことがきっかけだった。 そうである。 なにげなく、ふと、そんなことを思ったのだった。

 ある朝、起きだして洗面所へ行き、極めて機械的にいつものように歯を磨き始めた。 そして、何気なく前の鏡を見た。 そして思った。 「また歯を磨いている」と、、、。
 前に歯を磨いてから、もう一日が経っているのだった。 昨日も一昨日もその前も毎朝歯を磨いた。 ここでもう何回歯を磨いただろうか、と思った。 そして、その間になにがどう変わったのだろうかと思った。
 なにも変っていないのである。 自分も、家族も、世間も、社会も、、、。

 自分、わが身について振り返ってみてもこれといって変ったことは起きていない。 そしてこの先を思ってみても、これといって変ったことが起きる見込みも無い。 日々をただ「漫然と暮らしている」としか言いようがないのが実状である。 
 経済的に困難な時代に、経済的に困窮している人が少なくないこの時期に、このようなことを思うことの”不遜”を感じないわけでもないが、「日々を生きる」ことの意味が見つからないで過ごしているのもはなはだ”寂しい”ことである。

 朝、目が覚める。 また、一日が始まる。 今日は何をして過ごそうかと思う。
予定も無ければ計画も無い。 することがないのだから、一日を漫然と過ごしてしまえばよいのである。 毎日をその日の思い付きで暮らせばよいのだからそんな暮らしは”その日暮らし”と言えるのではないか。 そう思った。 ”その日暮らし”というのが現状に極めてふさわしい表現ではないかとおもったのだった。

 そして、そんな”その日暮らし”を始めたはずだった。 それなのに日々なんだか落ち着かない感じがする。 「落ち着かない」のではなくて「落ち着かないような感じがする」のである。
 日々の暮らしは漫然と予定も計画も無く過ごしているのだが、「先のこと」についてはもっといろいろ考えておかなければならないような気がする。
 何をどう予定し計画したらいいのかは定かではない。 なんとなく、これから先、誰かが病気になったら、誰かが死んだら、そして”お二人さん”が”おひとりさん”になり、そしてともに死んでしまったら、、、 などなど。 

 考えてもしょうがないことだと思い、その時になって出来るように対処するしかないと思ったりするのだが、同時に、「備えておくこと」があるのではないか、備えておくべきだという思いもするのである。
 子供がいないのだから「備えておく」のは当然のことだとも思う。 しかし、誰のために、何のために「備える」のか、と思うと”無意味”なような気もしてくる。
 その日暮らしをしているのだから、先のことなどを気遣う必要はないと思うのだが、なかなかそのようにキッパリとはわり切れない。 ”その日暮らし”に徹しきれない。

 これからも、グズグズウジウジ思いめぐらしながら、それでも日々は何をするでもなく”漫然”と過ごしていくことになるのだろうと思う。
 行きあたりばったり、出たとこ勝負の”その日暮らし”になるとは思うのだが、これが以上のようになかなか”快い”ものではなさそうなので困っている。 

 



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