2007.07.16
あらすじ・・・
シルクロードを目指しながら・・・
ラサなどどうでもいいと思いながら・・・
何故かチベット関連のガイドブックを3冊も揃えて、中国入国以降、ひた走りにラサを目指し続けた「プロフェッショナル・デューク東城」に・・・
魔境・チベットが「恐るべき罠」を仕掛けて待ち構えていた・・・
やはり「チベット」は「魔の棲む都」だったのだ・・・!!!
この「プロフェッショナル」をして、抜き差しならない状況に陥れさせるとは・・・
この苦境をどう脱出するのか?
打つべき手立てはあるのか??
もうある意味脱出しているから記事が書けているという事はおいといて・・・
「どうする??ゴルコサーティーワン!!!」
お断り。
ここで言うチベットは「チベット文化圏」を指し、作品の舞台は現在は中国の一部になった青海省のゴルムドとチベット自治区のラサを指します。
それと中国の通貨単位は元(ゲン)といい1元=17円ぐらいです。文中の表記に日本円まで入れると読みにくくなり混乱すること、まあ主に書いてる私がでありますが・・・。特に日本円に換算せずに、元だけで表記いたします。参考までにちなみに現在のレートでは600元が1万円ぐらいです。
プロローグ
ゴルムドに至るまで・・・
これは一度ブログ「謎の日常」の07.10分の記事「苦渋の決断」 にも載せたのだが・・・
敢えてもう一度整理して話を続けよう・・・
まず、はっきり言って「ラサに行くのは消化試合」だ・・・
首都狙撃手としては・・・、いかにラサと言えども「セカンド・プライオリティー(第2優先)」以外の何者でもない。
しかしやるからには・・・一番楽な方法で、そして出来れば安い方法で・・・今行くメインルートからそれほど無理しないで行ければ良いというのが計画の骨子だった。
中国到着直後、まずは上海、そして西安、さらに蘭州とシルクロードへの方向を十分に考慮にいれつつ、ラサを目の端に置きながら、常に前進してきたのだ・・・
残念ながら、他の都市では良い結果を得られず・・・結局入口といえるゴルムドには07.09に到着したのだった・・・
それに話を複雑にしているものの一つに「入境許可証」の存在があった。これがないと外国人はチベットに入ることが出来ないという代物だ。それがなんでも7/1に規定が変わってしまい、以前よりまたやりずらくなっていたのだ。
1st day in Tibet(2007.07.09)
ゴルムドでやることは決まっていた・・・
昔からゴルムドでツアーを取ってチベットに入るのが一般的だったので、もっともメジャーなゴルムド中国国際旅行社(通称CITS:以下これに省略)に行く・・・
ここは「歩き方」や「旅行人」といったガイドブックにも紹介されているぐらいなので、まあ安全といっていいだろう。
これしかガイドブックには載っていなかったという言い方が正解なのだろうが・・・
いずれにしてもこう言った事は、既に分かっていて、間違いようのない場所で申し込むのが一番だ。
「安いが一番」で選んだ結果が、結局最終的にトラブルを発生させて揉める原因となるのが相場だし、そんなアマチュアリズムにこの「プロフェッショナル」は興味がない・・・
例え料金が高くとも・・・「石橋を叩いて壊してから渡る」ぐらいの慎重さで丁度良い・・・
ちなみにこれがCITSの入っているビル、この4階にCITSのオフィスがある。ここから全てが始まった。、
ここまで来てしまったからにはしょうがない選択だ。
さっそく、訪ねて担当者に会う。ディテールの確認だ!
担当者はミスターエヌ(以下エヌと省略)と言う。
以前は「入境許可証に駅から宿までの移動、そして安宿のドミの3日分の宿泊、そして3日間の市内観光にガイドを付ける、さらにゴルムドからラサまでの寝台バスによる移動で1700元(一元=約17円)」だったのが、チベット鉄道開通に伴って「入境許可証に安宿のドミの3日分の宿泊、そして3日間の市内観光にガイドを付けて1440元」と変更になっていた。
行きはツアーをとって夜行バスにしようと考えていたので・・・これがなくなっていた事は、幾ら安くなったとは言えちょっと考え物だ。ラサ行の鉄道のチケットは入手困難だが、彼らの説明によると外国人は原則鉄道らしい。バスが簡単に取れれば200元程度だが、あくまでも現状ではバスは乗れず、乗るとしたら闇バスに800-1000元の高い金を払って乗ることになるが、これは少々リスキー(途中でバレたら戻されるらしい)だし何よりも「エレガント」な私に相応しくない。
色々考えた結果、この際だから運を天に任せて相手にこう提案していた・・・
「分かった、今日中に出来て、明日出発できるなら、ツアーを取ろうか・・・」
エヌは回答を午前中一杯待つように私に言う。
そして午前中の終わりにこう回答を出してきた。
「今日は無理だが明日の朝なら可能だ、出発は明後日になるが・・・それでいいならツアーを申し込んでくれ・・・」
私はしばらく悩んだが・・・
ここまで来たら、気持ちとしてはもう行く方に傾いていた・・・
彼に1440元支払い、レシートを貰う。
レシートは「私が入境許可証とその他全てについて1440元支払った」という内容が英語で書かれた実に大雑把な物であったが、私が彼にディテール(詳細)をくれと言っても、「ラサの旅行代理店から入境許可証」が来た時に併せてつける」と言ってきたのでこの場は納得することにした。
それとネックはラサまでの移動手段だが・・・
自分で切符売り場に並んでも「入境許可証」が無いと売ってくれないという可能性がある。
私が中国語堪能ならまだしも・・・「ウォーアイニー」以外は何も知らない・・・これでは外見が似ていても騙し通すにはほんの少しだけ無理があるし、それに一事をこのCITSに任せることとなった今、列車のチケットもエヌの提案する手数料は一番安い硬座(要するに座席です)のチケットの143元に対して300元と劇高だったが、この際だから万事お任せにすることとした・・・
そうして一日目が過ぎていった・・・
2nd day in Tibet(2007.07.10)
約束通り、朝行こうとしたら、寝過ごして1400時過ぎにCITSへ、午前中に来るといわれている書類はまだ届いていない所が中々に「中国的」だと思うが、1700時以降に再度来るように言われる・・・
1700時に訪ねると許可証はまだ届かず、後で私のホテルに届けると言われる・・・
このあたりのいい加減さは前に旅行したアフリカを髣髴させる・・・
そういえば、アフリカの出鱈目さを受け入れるのに何度「ティー・アイ・エー(This is Africa)」と唱えて呪った事か・・・中国は開発の途上で見てくれが良い分・・・こういったいい加減な所を見せられるとやっぱりここも「ティー・アイ・シー(This is China)」かと愚痴りたくもなる。
時間を指定して人を呼びつけて・・・挙句にまだだって言うのは・・・
私は再度条件に念を押し、書類にツアーのディテールも併せて付けるように要求する。
エヌは
「3日間分のホテルのドミ、3日間の英語ガイドに市内観光の移動付」だから心配するな、問題ない。「ドント・ウォーリー。ノープロブレム」と言うだけだ。
こいつも嫌な台詞だ・・・
アフリカでこの言葉を聞いた後に・・・心配や問題がおこらなかったためしはない。
大体これ以上酷い事など無いだろうと・・・諦めてそれを受け入れると次にはもっと酷い目に会うのが相場だ。
ここがアフリカじゃないのが救いとなるのか?ならないのか??
今の私には分かりようも無い・・・
そして列車のチケットだけ受け取ると、彼は私に「50元多く払ってくれ」と言って来た。なんでも300元は彼らに払った手数料で、50元は彼がチケットを受け取りに行ったタクシー代(ちなみに駅からだいたい5元で市内の中心には行けると時間料)と言うことらしいが・・・そもそも苦労はするが駅で直接闇チケット(ラサに行きたがる人間が多いので、チケットを買って高く売りつけるという実に後進国チックなビジネスが今流行っている)屋を探せばまあ倍の値段も出せば買える話だ。私がエヌに一任したのはパーミッションが遅れたら彼に責任を取らせる事が出来ると考えたからでその為にこの法外なチケットの2倍という300元という値段を呑んだのだ!
私はエヌにこう言う・・・
「この取引は、お前が手数料300元と言った段階で終わっている・・・もし必要なら事前に言うんだな・・・」
もちろん正論だ。彼に反論の余地などない。
「お前さんが俺の私た300元の手数料をどう使おうが俺には関係ない、チケットを手に入れてくれさえすれば言いだけの話だ・・・、その300元のなかからお前が儲けを出せなかったなら・・・それはお前の責任だな・・・」
私はそう吐いて捨てて彼と別れる。
こういった言い分もアフリカ以降は中々耳にしてなかったが・・・
相変わらず途上国のメンタリティーという奴にはほとほと呆れさせる・・・
それもこれも「ティー・アイ・シー」だからだろう・・・
その後しばらく街をブラブラしてホテルに戻ると封筒が届いていた・・・
これが貰った封筒
封筒を開けると・・・
Faxだが・・・許可証が入っていた。
これにもう一枚、グループリストに私の名前が・・・
私が念を押したディテールは入っていない。
もう書類が来てしまった後なので、エヌは私と会おう等とはしないだろうが・・・
電話で一度確認する。
確認した内容は単純だ。貰ったものは一通の封筒に書類が2枚。それでいいかどうかだけだ。
彼はそれで問題は無いと断言する。
まあいい、今私に出来るのはどうやらこのくらいのようだ・・・
いずれにしても最低限ラサには着けるのだろう・・・
この日に見たゴルムドの夜景
3rd day in Tibet(2007.07.11)
朝0730時、予定通りに鉄道はゴルムドを出発する。
ちなみにこの鉄道は「チベット鉄道(通称チベ鉄)」という・・・
何故「チベ鉄」と言うのかを疑問を思った方は、ブログ「謎の日常」の「14Hrs」 に回答があるので見て貰おう・・・
これが私の乗った列車。
そして私の乗った硬座はこんな感じ
車窓からの風景、こんな高原地帯を走ってるです・・・
禁煙と言う大敵と14時間に渡る死闘を繰り広げたものの無事にラサに到着する。
駅でちょっと歩いてから流しの相乗りタクシーを捕まえ、15元で指定された「バナクショー・ホテル」へ、到着後早速ガイドに電話をし、明日の待ち合わせ時間を確認する。
まあ悪くは無い出足だろうか・・・
あらすじ・・・
シルクロードを目指しながら・・・
ラサなどどうでもいいと思いながら・・・
何故かチベット関連のガイドブックを3冊も揃えて、中国入国以降、ひた走りにラサを目指し続けた「プロフェッショナル・デューク東城」に・・・
魔境・チベットが「恐るべき罠」を仕掛けて待ち構えていた・・・
やはり「チベット」は「魔の棲む都」だったのだ・・・!!!
この「プロフェッショナル」をして、抜き差しならない状況に陥れさせるとは・・・
この苦境をどう脱出するのか?
打つべき手立てはあるのか??
もうある意味脱出しているから記事が書けているという事はおいといて・・・
「どうする??ゴルコサーティーワン!!!」
お断り。
ここで言うチベットは「チベット文化圏」を指し、作品の舞台は現在は中国の一部になった青海省のゴルムドとチベット自治区のラサを指します。
それと中国の通貨単位は元(ゲン)といい1元=17円ぐらいです。文中の表記に日本円まで入れると読みにくくなり混乱すること、まあ主に書いてる私がでありますが・・・。特に日本円に換算せずに、元だけで表記いたします。参考までにちなみに現在のレートでは600元が1万円ぐらいです。
プロローグ
ゴルムドに至るまで・・・
これは一度ブログ「謎の日常」の07.10分の記事「苦渋の決断」 にも載せたのだが・・・
敢えてもう一度整理して話を続けよう・・・
まず、はっきり言って「ラサに行くのは消化試合」だ・・・
首都狙撃手としては・・・、いかにラサと言えども「セカンド・プライオリティー(第2優先)」以外の何者でもない。
しかしやるからには・・・一番楽な方法で、そして出来れば安い方法で・・・今行くメインルートからそれほど無理しないで行ければ良いというのが計画の骨子だった。
中国到着直後、まずは上海、そして西安、さらに蘭州とシルクロードへの方向を十分に考慮にいれつつ、ラサを目の端に置きながら、常に前進してきたのだ・・・
残念ながら、他の都市では良い結果を得られず・・・結局入口といえるゴルムドには07.09に到着したのだった・・・
それに話を複雑にしているものの一つに「入境許可証」の存在があった。これがないと外国人はチベットに入ることが出来ないという代物だ。それがなんでも7/1に規定が変わってしまい、以前よりまたやりずらくなっていたのだ。
1st day in Tibet(2007.07.09)
ゴルムドでやることは決まっていた・・・
昔からゴルムドでツアーを取ってチベットに入るのが一般的だったので、もっともメジャーなゴルムド中国国際旅行社(通称CITS:以下これに省略)に行く・・・
ここは「歩き方」や「旅行人」といったガイドブックにも紹介されているぐらいなので、まあ安全といっていいだろう。
これしかガイドブックには載っていなかったという言い方が正解なのだろうが・・・
いずれにしてもこう言った事は、既に分かっていて、間違いようのない場所で申し込むのが一番だ。
「安いが一番」で選んだ結果が、結局最終的にトラブルを発生させて揉める原因となるのが相場だし、そんなアマチュアリズムにこの「プロフェッショナル」は興味がない・・・
例え料金が高くとも・・・「石橋を叩いて壊してから渡る」ぐらいの慎重さで丁度良い・・・
ちなみにこれがCITSの入っているビル、この4階にCITSのオフィスがある。ここから全てが始まった。、
ここまで来てしまったからにはしょうがない選択だ。
さっそく、訪ねて担当者に会う。ディテールの確認だ!
担当者はミスターエヌ(以下エヌと省略)と言う。
以前は「入境許可証に駅から宿までの移動、そして安宿のドミの3日分の宿泊、そして3日間の市内観光にガイドを付ける、さらにゴルムドからラサまでの寝台バスによる移動で1700元(一元=約17円)」だったのが、チベット鉄道開通に伴って「入境許可証に安宿のドミの3日分の宿泊、そして3日間の市内観光にガイドを付けて1440元」と変更になっていた。
行きはツアーをとって夜行バスにしようと考えていたので・・・これがなくなっていた事は、幾ら安くなったとは言えちょっと考え物だ。ラサ行の鉄道のチケットは入手困難だが、彼らの説明によると外国人は原則鉄道らしい。バスが簡単に取れれば200元程度だが、あくまでも現状ではバスは乗れず、乗るとしたら闇バスに800-1000元の高い金を払って乗ることになるが、これは少々リスキー(途中でバレたら戻されるらしい)だし何よりも「エレガント」な私に相応しくない。
色々考えた結果、この際だから運を天に任せて相手にこう提案していた・・・
「分かった、今日中に出来て、明日出発できるなら、ツアーを取ろうか・・・」
エヌは回答を午前中一杯待つように私に言う。
そして午前中の終わりにこう回答を出してきた。
「今日は無理だが明日の朝なら可能だ、出発は明後日になるが・・・それでいいならツアーを申し込んでくれ・・・」
私はしばらく悩んだが・・・
ここまで来たら、気持ちとしてはもう行く方に傾いていた・・・
彼に1440元支払い、レシートを貰う。
レシートは「私が入境許可証とその他全てについて1440元支払った」という内容が英語で書かれた実に大雑把な物であったが、私が彼にディテール(詳細)をくれと言っても、「ラサの旅行代理店から入境許可証」が来た時に併せてつける」と言ってきたのでこの場は納得することにした。
それとネックはラサまでの移動手段だが・・・
自分で切符売り場に並んでも「入境許可証」が無いと売ってくれないという可能性がある。
私が中国語堪能ならまだしも・・・「ウォーアイニー」以外は何も知らない・・・これでは外見が似ていても騙し通すにはほんの少しだけ無理があるし、それに一事をこのCITSに任せることとなった今、列車のチケットもエヌの提案する手数料は一番安い硬座(要するに座席です)のチケットの143元に対して300元と劇高だったが、この際だから万事お任せにすることとした・・・
そうして一日目が過ぎていった・・・
2nd day in Tibet(2007.07.10)
約束通り、朝行こうとしたら、寝過ごして1400時過ぎにCITSへ、午前中に来るといわれている書類はまだ届いていない所が中々に「中国的」だと思うが、1700時以降に再度来るように言われる・・・
1700時に訪ねると許可証はまだ届かず、後で私のホテルに届けると言われる・・・
このあたりのいい加減さは前に旅行したアフリカを髣髴させる・・・
そういえば、アフリカの出鱈目さを受け入れるのに何度「ティー・アイ・エー(This is Africa)」と唱えて呪った事か・・・中国は開発の途上で見てくれが良い分・・・こういったいい加減な所を見せられるとやっぱりここも「ティー・アイ・シー(This is China)」かと愚痴りたくもなる。
時間を指定して人を呼びつけて・・・挙句にまだだって言うのは・・・
私は再度条件に念を押し、書類にツアーのディテールも併せて付けるように要求する。
エヌは
「3日間分のホテルのドミ、3日間の英語ガイドに市内観光の移動付」だから心配するな、問題ない。「ドント・ウォーリー。ノープロブレム」と言うだけだ。
こいつも嫌な台詞だ・・・
アフリカでこの言葉を聞いた後に・・・心配や問題がおこらなかったためしはない。
大体これ以上酷い事など無いだろうと・・・諦めてそれを受け入れると次にはもっと酷い目に会うのが相場だ。
ここがアフリカじゃないのが救いとなるのか?ならないのか??
今の私には分かりようも無い・・・
そして列車のチケットだけ受け取ると、彼は私に「50元多く払ってくれ」と言って来た。なんでも300元は彼らに払った手数料で、50元は彼がチケットを受け取りに行ったタクシー代(ちなみに駅からだいたい5元で市内の中心には行けると時間料)と言うことらしいが・・・そもそも苦労はするが駅で直接闇チケット(ラサに行きたがる人間が多いので、チケットを買って高く売りつけるという実に後進国チックなビジネスが今流行っている)屋を探せばまあ倍の値段も出せば買える話だ。私がエヌに一任したのはパーミッションが遅れたら彼に責任を取らせる事が出来ると考えたからでその為にこの法外なチケットの2倍という300元という値段を呑んだのだ!
私はエヌにこう言う・・・
「この取引は、お前が手数料300元と言った段階で終わっている・・・もし必要なら事前に言うんだな・・・」
もちろん正論だ。彼に反論の余地などない。
「お前さんが俺の私た300元の手数料をどう使おうが俺には関係ない、チケットを手に入れてくれさえすれば言いだけの話だ・・・、その300元のなかからお前が儲けを出せなかったなら・・・それはお前の責任だな・・・」
私はそう吐いて捨てて彼と別れる。
こういった言い分もアフリカ以降は中々耳にしてなかったが・・・
相変わらず途上国のメンタリティーという奴にはほとほと呆れさせる・・・
それもこれも「ティー・アイ・シー」だからだろう・・・
その後しばらく街をブラブラしてホテルに戻ると封筒が届いていた・・・
これが貰った封筒
封筒を開けると・・・
Faxだが・・・許可証が入っていた。
これにもう一枚、グループリストに私の名前が・・・
私が念を押したディテールは入っていない。
もう書類が来てしまった後なので、エヌは私と会おう等とはしないだろうが・・・
電話で一度確認する。
確認した内容は単純だ。貰ったものは一通の封筒に書類が2枚。それでいいかどうかだけだ。
彼はそれで問題は無いと断言する。
まあいい、今私に出来るのはどうやらこのくらいのようだ・・・
いずれにしても最低限ラサには着けるのだろう・・・
この日に見たゴルムドの夜景
3rd day in Tibet(2007.07.11)
朝0730時、予定通りに鉄道はゴルムドを出発する。
ちなみにこの鉄道は「チベット鉄道(通称チベ鉄)」という・・・
何故「チベ鉄」と言うのかを疑問を思った方は、ブログ「謎の日常」の「14Hrs」 に回答があるので見て貰おう・・・
これが私の乗った列車。
そして私の乗った硬座はこんな感じ
車窓からの風景、こんな高原地帯を走ってるです・・・
禁煙と言う大敵と14時間に渡る死闘を繰り広げたものの無事にラサに到着する。
駅でちょっと歩いてから流しの相乗りタクシーを捕まえ、15元で指定された「バナクショー・ホテル」へ、到着後早速ガイドに電話をし、明日の待ち合わせ時間を確認する。
まあ悪くは無い出足だろうか・・・