クリフォード・ブラウン、ルビー・ブラフ、サド・ジョーンズ、ドナルド・バード、アート・ファーマー、リー・モーガン、ナット・アダレイ・・・錚々たる名前が並んだが、これは1954年のブラウンから順にダウンビート誌国際批評家投票で、「期待される新人」部門のトップに選ばれたトランぺッターだ。モダンジャズ一色だった1950年代を象徴するようなハードバッパーのなかに一人だけ意外な名前がある。
ルビー・ブラフだ。中間派を代表するトランペッターとされているが、溌溂とした音色と明瞭なフレージングはスウィング・スタイルに近い。スウィング・ジャズ全盛時代からのトランぺッターならまだしも、1950年代半ばにデビューするのにこのスタイルとは驚きだが、比較的保守的なジャズが盛んだったボストン出身だったことによる。ボストン時代に、ピー・ウィ・ラッセルやバド・フリーマン、エドモンド・ホールといったスウィング・スタイルの奏者と共演しているので、その影響だろう。ブラフも当時主流のモダン・スタイルを知らなかったわけではないが、自分に合ったスタイルがそれだと逸早く気付いたに違いない。
「Holiday In Braff」は、ベツレヘム・レーベルの3枚目のアルバムで、そのタイトルと白いくちなしの花からもわかるようにブラフが敬愛するビリー・ホリデイに捧げたものだ。10人編成の小オーケストラという編成で、トップは1938年にビリーがテディ・ウィルソンのバンドで吹き込んだ「When You're Smiling」を選曲している。ビリーがメロディを大胆にフェイクしたあと、レスター・ヤングが歴史に残るソロを吹いたブランズウィック・セッションだ。そのレスターのソロを何とサックス・アンサンブルで再現している。ブラフはビリーの歌と、レスターのフレーズが重なっててこその名唱と捉えていたのだろう。
因みに1961年からの新人部門はフレディ・ハバード、カーメル・ジョーンズ、ジョニー・コールズ、テッド・カーソン、ジミー・オーエンス、チャールス・トリバー、ランディ・ブレッカーと続くが、全員期待通りの活躍をしている。この一覧からはハードバップから徐々に新主流派に移行するジャズシーンが見えてくるが、シーンの大きな流れからみるとルビー・ブラフのデビューは自然なことだったのかもしれない。
ルビー・ブラフだ。中間派を代表するトランペッターとされているが、溌溂とした音色と明瞭なフレージングはスウィング・スタイルに近い。スウィング・ジャズ全盛時代からのトランぺッターならまだしも、1950年代半ばにデビューするのにこのスタイルとは驚きだが、比較的保守的なジャズが盛んだったボストン出身だったことによる。ボストン時代に、ピー・ウィ・ラッセルやバド・フリーマン、エドモンド・ホールといったスウィング・スタイルの奏者と共演しているので、その影響だろう。ブラフも当時主流のモダン・スタイルを知らなかったわけではないが、自分に合ったスタイルがそれだと逸早く気付いたに違いない。
「Holiday In Braff」は、ベツレヘム・レーベルの3枚目のアルバムで、そのタイトルと白いくちなしの花からもわかるようにブラフが敬愛するビリー・ホリデイに捧げたものだ。10人編成の小オーケストラという編成で、トップは1938年にビリーがテディ・ウィルソンのバンドで吹き込んだ「When You're Smiling」を選曲している。ビリーがメロディを大胆にフェイクしたあと、レスター・ヤングが歴史に残るソロを吹いたブランズウィック・セッションだ。そのレスターのソロを何とサックス・アンサンブルで再現している。ブラフはビリーの歌と、レスターのフレーズが重なっててこその名唱と捉えていたのだろう。
因みに1961年からの新人部門はフレディ・ハバード、カーメル・ジョーンズ、ジョニー・コールズ、テッド・カーソン、ジミー・オーエンス、チャールス・トリバー、ランディ・ブレッカーと続くが、全員期待通りの活躍をしている。この一覧からはハードバップから徐々に新主流派に移行するジャズシーンが見えてくるが、シーンの大きな流れからみるとルビー・ブラフのデビューは自然なことだったのかもしれない。