2月14日、私が働いている大学の学長が亡くなりました。
誰も予想していなかった急に訪れたお別れでした。
おそらく事務局の多くのスタッフが「学長と最後に話したのいつだったかなぁ」と考えたはず。
私も、1月半ば、ふと事務局に現れた学長と交わしたいつもの会話が最後になりました。
今後、何度も繰り返されるはずの会話でした。
学長の偉業は、ここで紹介するまでもなくいろいろあって、ちょっと調べれば、専門の中国関係から、教育界へ尽力、ふるさと長野県での様々な活動など、とにかくフットワークの軽い方だったので、「こんなことまでやっていたのか?!」というようなことがゴロゴロ出てくるわけです。
でも、私が知っている学長は、大学の教員にありがちな「上から目線」なんてものは全くなく、スタッフにも常に敬意を持って接してくださる穏やかな人でした。
毎日大学に到着すると、「おはよう」「どうも」と事務局中のスタッフに声をかけてから学長室に向かう学長。
ドアが閉まっていれば、ドアを自分で開けて挨拶する姿。
高校訪問の復命書(出張報告書)を提出すれば
「全部読んでますよ。失礼な対応もあるだろうけれど、がんばってください」
と声をかけてくれたこともありました。
会議の資料を準備すれば
「こんなに用意するのは大変だったでしょう。dufyさん、ありがとう」
と必ず言ってくれる学長でした。
そんな大きな温かい存在が今はもう消えてしまったのかと思うと、とても悲しくて寂しいです。
誰も予想していなかった急に訪れたお別れでした。
おそらく事務局の多くのスタッフが「学長と最後に話したのいつだったかなぁ」と考えたはず。
私も、1月半ば、ふと事務局に現れた学長と交わしたいつもの会話が最後になりました。
今後、何度も繰り返されるはずの会話でした。
学長の偉業は、ここで紹介するまでもなくいろいろあって、ちょっと調べれば、専門の中国関係から、教育界へ尽力、ふるさと長野県での様々な活動など、とにかくフットワークの軽い方だったので、「こんなことまでやっていたのか?!」というようなことがゴロゴロ出てくるわけです。
でも、私が知っている学長は、大学の教員にありがちな「上から目線」なんてものは全くなく、スタッフにも常に敬意を持って接してくださる穏やかな人でした。
毎日大学に到着すると、「おはよう」「どうも」と事務局中のスタッフに声をかけてから学長室に向かう学長。
ドアが閉まっていれば、ドアを自分で開けて挨拶する姿。
高校訪問の復命書(出張報告書)を提出すれば
「全部読んでますよ。失礼な対応もあるだろうけれど、がんばってください」
と声をかけてくれたこともありました。
会議の資料を準備すれば
「こんなに用意するのは大変だったでしょう。dufyさん、ありがとう」
と必ず言ってくれる学長でした。
そんな大きな温かい存在が今はもう消えてしまったのかと思うと、とても悲しくて寂しいです。