重慶大爆撃
重慶大爆撃被害者の謝罪と賠償を求める闘い
 

はじめに 〜「重慶大爆撃とは?」  

 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。
 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。





2009年12月25日から2010年1月1日まで、
中国の成都・松藩で訪中調査をおこないました。

今回は第四次提訴の原告にもなった松藩へ初めて訪れ、
松藩爆撃の被害者や支援者らに聞き取り調査や会議をおこないました。



※画像をクリックすると大きく表示されます。


<松藩県>2009/12/25-29

松藩県での会議に集まった被害者と支援者ら(2009/12/26)



松藩県内の清青寺の前で被害者と支援者ら(2009/12/27)



松藩県内の内南門城前にて(2009/12/27)


松藩県内の観音閣前での聞き取り調査(2009/12/27)



郎依寺前で(2009/12/29)
松藩県仏教協会会長の郎依阿旺尼美さん(後列中央)




<成都>2009/12/29-2010/1/1

成都の法律事務所にて(2009/12/29)


成都の法律事務所にて(2009/12/30)


成都の法律事務所にて(2009/12/30)



松藩爆撃の被害者・原告安さんの家族(2009/12/31)



松藩爆撃の被害者・原告安さんに聞き取り調査(2010/1/1)

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