DT200Aの庫 (goo-blg)

三塩軌道(西沢森林鉄道)の保存車両


 その筋の方には有名らしいですが、全く無知の私は車を運転していて道路沿いに突然このような車両が現れると驚くとともに、異常な興奮を憶えてしまいます。もし、ここにこんな保存車両があると知っていたら、ここまで興奮はしないと思います。当然、知っていれば己の知恵となりますが、知らないで驚く喜びもそれはそれでありかな?と実感した次第です。ちなみに車体の中央に出ている棒がせびと呼ばれるブレーキ棒です。  10,11,27 三塩軌道(西沢森林鉄道)保存車両  Canon EOS7D

 11月27日に秩父鉄道へ向かうために甲府(山梨市)から国道140号線を走っていると突然、国道沿いにトロッコが保存されているのがが眼に入ってきました。
 撮影があるので、けして時間があるわけではありませんが、これは一見の価値はあると車を駐車帯に入れてEOS7Dを持って保存車両へと近づきました。
 保存車両の傍らには説明板があり、このトロッコが走っていた経緯が書かれています。全く予備知識のないナローだけに説明文に食い入るように見入ってしまいました。その説明文によればこのトロッコは三塩軌道(通称:西沢森林鉄道)と称し、現在の広瀬ダム近くの中土場から国鉄塩山駅までを結んでおり運行形態はつい最近まで屋久島で残っていた山奥で切り出された木材をトロッコに積み込み、運材夫の手によってトロッコ備えられたせび(ブレーキ棒)を巧みに操って下り勾配を利用した国鉄塩山駅まで運搬し、山へ帰る空車は馬(後に一部区間をDL化)により運んだと書かれています。


 左の棒がせび(ブレーキ棒)です。ところで私は木製のブレーキシューは初めて見ました。これで重い木材を積んだトロッコで連続勾配を下るわけですからブレーキシューの脱落や焼損なども多く発生したと推測され、運材夫も命がけだった訳でしょうし、現実に何らかの理由でノーブレーキになり逸走しトロッコと共に谷底に落ちて何人もの運材夫が事故でなくなっていると思われます。  10,11,27 三塩軌道(西沢森林鉄道)保存車両  Canon EOS7D  

 ここで注目されるのはこの三塩軌道はいつまで残っていたと言う事ですが説明文から推測すれば昭和30年代までは間違いなく現役だっと言う事になります。突然の興奮からかここを出発してからしばらくして、ゲージを調べる事を忘れたのに気づきましたが、先を急ぐの戻る事なく三峰口へ向かいました。
 ちなみにネットで「三塩軌道」で検索するとこの見塩軌道はその道の人にはメジャーな存在な事がわかります。一部には詳しい経歴も記載されています。更には現在も廃線跡には軌道が残っている区間もあり、保存車両も他にもあるようなので廃線跡を歩くのも面白いかも知れません。しかし一部のサイトでは「簡単に廃線跡を歩ける場所もあるが一部には朽ち落ちて崩落してしまった場所もあるので必ず沢歩き程度の装備をして、複数人で訪れるように」と注意しています。まずはネットでいろいろな文献の一読をお勧めします。(本文中アンダーラインはネット参照による。)


 ネットでいろいろなサイトを見ていると、この説明板以外にもいくつかの場所に説明板があるようでした。  10,11,27 三塩軌道(西沢森林鉄道)保存車両  Canon EOS7D

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