「気にかける」と、その対象がより気になってくる、ということがある。
例えば、腰と首が両方とも痛いという人がいたとする。ある日、寝違えをして、その痛みで来院される。
すると、「今日は首が痛くて、腰の痛みまで気が回らない」などと言ったりする。
これは、「腰はいつものように痛いはずなんだが、今日は首が痛すぎて腰の痛みを感じない」ということだ。おかしな話だが、これにもちゃんとメカニズムがある。しかし、ここでは割愛させていただく(ぼくが偉そうに述べられる内容ではないので)。
いずにれしても、そこに「気」がなければ、痛みによって生じる感情(この場合、苦痛)も生じないということ。
感覚はあっても感情はないという境地だ。
これは、幸せに生きるための極意である。
日々是実践。