真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「女囚 いたづら性玩具」(1998/製作:多呂プロ/配給:大蔵映画/出演・監督:荒木太郎/脚本:内藤忠司/撮影:河中金美/編集:酒井正次/助監督:横井有紀/制作:小林徹哉/撮影助手:李奉奎/録音:シネキャビン/現像:東映化学/協力:《株》東京UT・天野商事・大町孝三/出演:長曽我部蓉子・西藤尚・林由美香・清水大敬/特別出演:今泉浩一・木立雅隆・太田始・内藤忠司・除福健・国沢実・染屋冬香・横井勇気)。実際のビリングは、林由美香の次にカメオ勢が来て清水大敬がトメ。
 コツコツ足音と多呂プロ風味の出演者クレジットが三本柱と清水大敬まで、名美ならぬナミ(長曽我部)の、出所風景は8mm撮影。画面右側大半を巨大な塀が黒々と占め、左隅に向かつて歩くナミの背中が次第に小さくなつてタイトル・イン。荒涼とした画と呑気なクレジットとの齟齬は、個人的には邪魔な意匠に思へる。
 山の中で泳ぐ真二(荒木)は、釣人(識別不能)からバケツに入れた二匹の魚を貰ふ。バケツを提げ真二がほてほて戻つた先は、荒木組何時ものあばら家。庭ではすつかり呆けた為吉(特定不能)が騒々しく踊り、屋内では花枝(林)が蚊帳の中に眠る。モソモソと真二が潜り込んでの情事、花枝は母親を泣かせた放蕩の末今では夢の中に生きる父・為吉を、“幸せな人”と生温かく突き放す。あれ?荒木太郎にしては充実してるな。尤も、濡れ場の最中唐突に西瓜を挿み込んでみたりしたがるのは、矢張り不要な横癖としか思へない。事後、出し抜けに花枝からちやんとしない生活を詰られた真二は、バケツにお父さんを大切にするやう書置きを残しライトバン―以後、劇中呼称に従ひキャラバン―で逃走する。流れ着いたのは東京の街中、川で頭ごと顔を洗ふ真二は、音無橋の上にナミの姿を遠目に見る。そこに杖をついた男が現れると逃げ出したナミが、真二のキャラバンに乗り込んで来る。そのまま真二の稼業の白黒ショーを、ナミと興行する成り行きに。一旦キャラバンを去り再び戻つて来たナミは、真二に女囚であつた過去を告白する。心から愛した男に遊び道具扱ひされたことに激昂、男を殺害したナミは温情判決で五年の臭い飯を喰ふ。塀の中、髪を銀髪に染めた女囚(見たことないソリッドな西藤尚)に襲はれ負傷したナミを、看守の村木もとい村井(清水)は医務室で手当てしながらその都度抱く。但し西藤尚は、ナミを手に入れる為の村井の手の者であつた。西藤尚からも男を求められ村井が抱く現場に―文字通り―飛び込んだナミは、村井の右太股をメスで刺す。懲戒免職された村井は右足の自由を失ひ、ナミの刑期は一年延びた。音無橋は、出所後に突き落とすなり赦すなり判断はナミに委ねた、村井の指定した待ち合はせの場所だつた。
 配役残り、ショーの客は左から国沢実・今泉浩一・太田始・木立雅隆。一方、超絶の造形に感嘆させられる村井が身を置くホームレス村の面々は、並んだ際の同じく左から国沢実・木立雅隆・グラサン(が除福健?)・太田始。殆ど素顔で勝負する太田始を除き、重複する面子も扮装を完全に違(たが)へよくよく確認しないと判らない、この点もお見事。染屋冬香と横井勇気はまづ間違ひなくその他女囚として、問題はその他女囚が同一カットに計四名見切れるゆゑ、林由美香が加はつてゐたとしてももう一人足らない。内藤忠司を見逃したのは画面の小ささか、小生の―現に―壊れかけの節穴の限界、為吉のやうな気もするが。
 長曽我部蓉子目当てでチョイスした最初で最後の大蔵戦は、荒木太郎の映画館シリーズと並ぶ看板シリーズ「キャラバン野郎」の第五作。ここでこの期に改めて沿革を整理すると、デビュー作が第一作「異常露出 見せたがり」(1996/主演:工藤翔子)。第二作「ヒクヒクする女 ‐見られたい‐」(1996/北沢幸雄と共同脚本/主演:工藤翔子)は、第一作の連続した続篇。第三作「熟女の誘ひ汁 ‐何本でも欲しい‐」(1997/脚本:北沢幸雄/主演:しのざきさとみ)、第四作「濡れ尻女将のねばり汁」(1997/内藤忠司と共同脚本/主演:田口あゆみ)がその翌年。本作、第六作「主婦の性 淫らな野外エッチ」(1999/脚本:内藤忠司/主演:伊藤清美)、第七作「飯場で感じる女の性」(2000/脚本:内藤忠司/主演:鈴木あや)と年に一本づつ。一年御無沙汰して第八作「痴漢電車 秘芯まさぐる」(2002/脚本:内藤忠司/主演:山咲小春)と来た上で、最終第九作がエピソード0となる「隣のお姉さん 小股の斬れ味」(2003/脚本:内藤忠司/主演:林由美香/まだ心も健在な為吉は野上正義)。実は第二作以外は全てDMMの中に入つてゐる、この際折角なので今更といはず「ヒクヒクする女」も何とか御検討願へないでせうか   >オーピー様
 話を戻して、一見驚かされたのは、長曽我部蓉子のオッパイの大きさと、荒木太郎であるにも関らずな映画の面白さ。性懲りもなく繰り返すが、世評が“荒木調”と持て囃すところの諸々のギミックを、憤懣やるかたない“荒木臭”と排するのが当サイトの基本的な立場である。当人の志向は正調の娯楽映画と思しき割に、実際の結果は正攻法を挑まずに小手先でシークエンスを弄んでばかりの荒木太郎の映画が、私は大嫌ひなのだ。このことは、第三作以降の竹洞哲也にも概ね該当する。ただでさへ孤立無援な上に敵を増やすのがそんなに楽しいかと自重するでもなく、火に油を注いでみせるとそのことで、正直俺は荒木太郎推しの故福岡オークラとは仲が悪かつた。一体今になつて、何をどうしやうもない筆を滑らせてゐやがるのか。

 だから閑話休題

 硬質の美貌を加速する長曽我部蓉子の豊かなオッパイに轟き、完成された三部構成に唸らされる。序盤は相ッ変らず根無し草の真二がヒロインと出会ひ、ショーの新装開店に至るシリーズのフォーマット。中盤を本当に丸々二十分支配する長い回想は、激情がここでは首の皮一枚ロマンティックの範疇に踏み止まる、変格にして出来栄えは結構本格の女囚映画。そして衝撃と、救済の終盤。時に鈍器に、時に鋭利な刃物と化す長曽我部蓉子と、地獄の底でなほ大笑する清水大敬。ナミと村井のタナトスと紙一重の苛烈なエロスが、真二の、そして殆ど即ち荒木太郎のよくいへば線の細い、直截には脆弱なリリシズムを粉砕するクライマックスは圧巻。何だこの映画、荒木太郎はこんな凄い映画撮つてたのか。撃墜されたキャラバンがおめおめ帰還するのは、何時の間にかそんなに季節が移つた花枝の下。おこたを挿んで、穏やかに平然と迎へる花枝と、はふはふの体の真二のショットは圧倒的。あまりに美しくて素晴らしくて、美しさと素晴らしさとに度肝を抜かれた。何だこの映画、荒木太郎はこんな凄い映画撮つてたのか。喰はず嫌ひも、流石に反省した。あと四本、見られるものは全部見る。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )