Dr. Mori Without Borders / Mori-san Sans Frontieres

森 一仁が医学・国際政治経済金融・人文教養教育など関心問題を国際的・学際的に考える。

映画「Being John Malkovich」の精神観 ①

2006-01-18 02:22:48 | 哲学・形而上学:宗教・超心理・神秘学
「Being John Malkovich」がBSで放送されていた。パペット使いのシュワルツ博士と動物フリークの妻は、汚い動物に囲まれた部屋で貧乏生活を送っている。やがてレスター博士の会社に就職したシュワルツは、ビルの7と1/2階という低い階で、持ち前の異常なファイル整理の才能を生かした仕事を見つける。そこでは名優「John Malkovich」の頭脳の内部につながった穴を発見する。ここには実に哲学的・霊的・神秘学的な世界への入り口(PORTAL)が広がっていたのである。

PORTALとは門である。肝臓の門脈もPORTAL・VEINと呼ばれる。ここを通り、消化され腸で吸収された栄養分は血中に入る。映画の中のPORTALでは、7と1/2階の「John Malkovich」の頭脳の内部につながった穴であり、彼が見ているようにものが見え、感じているように感じられる。最初はただJohn Malkovichを通してものを見ているだけである。認識論的段階とでも言おうか。

次にシュワルツはだんだんとJohn Malkovichをコントロールしたくなってくる。この辺りの詳細は端折るが、もともと人形遣いのシュワルツは見事にJohn Malkovichを操っていく。単なる観察者ではなく、操作を帯びてくる。この辺りは自然科学の歴史と重ね合わせても考えられる。自然現象をテオーリア(観想)していただけのギリシャ自然学。サイエンスという言葉が生まれる前、まだ錬金術だった頃に人類は自然を観察して記述するだけではなく、操作しようとするようになる。大陸を征服して他民族を征服しよう、自然も同様に観察の対象ではなく操作の対象となる。この辺りから悲劇が始まってくるのだが、この映画で得られる精神観・人間観は近代西洋の価値観をゆうに超越していて、私にとっては「The MATRIX」と同様の感想を持つに至った。[続く]

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