Dr. Mori Without Borders / Mori-san Sans Frontieres

森 一仁が医学・国際政治経済金融・人文教養教育など関心問題を国際的・学際的に考える。

学歴とは何か?

2006-03-27 21:16:36 | 人間発達論:言語・外国語・高等教育
最近WEBLOGだけではなく、ネットのコミュニティーも利用するようになったが、「書き込み」版の論争と誹謗中傷の応酬に正直驚き、また辟易としている。なかでも最新の驚きは、「[学歴]は誹謗中傷の対象たり得る」と言う発言が半ば盲目的に正当化されていたことである。

「学歴」とは教育背景を履歴書などの書類に表した経歴の事であろう。なかでも高等学校卒業後に受けた高等教育の経歴を並べていったものに過ぎない。学士号を取得、博士号や修士号を取得すると言う事は学歴を積む事になる。もちろん準学士号を短期大学で取得する事も含まれているだろう。高等教育を受けた結果として学位をどれだけ取得したか、そこだけを指して学歴と言うものは論じられている筈である。

ところが「学歴」を謳った「掲示板」なり「書き込み版」では、学部・大学院などの優劣の比較と言うランキングを行なう。狙うところは劣位の学部・大学院に対する誹謗中傷だ。学歴と言う、個人の経歴を狙いこれに優劣をつける。○○氏はA大学卒だから優秀、△△氏はB大学だから無能・・・。これが如何に破綻した論理であるか、書いている側は理解していないのであろうか?

学歴が高いと言う事は、高等教育を経た機関が長いと言う事を意味しているに過ぎない。第一に、基礎学力が高いと言う事とイコールでは無いのである。第二に、実務能力があるか否かとは全く関係が無い。日本では技術系でも博士号取得者よりも修士号取得者を優先して採用すると聞いたことがあるが、実社会経験を経ない期間が長引く事でコミュニケーション能力も含めた広義の実務能力が低下する事を怖れての事であろう。第三に、これは何よりも重要だが、学歴の高さと人物評とは一致しない。最初から論じているように、高等教育を経た時間の長さと在籍していた場所を履歴書に書いただけが学歴なのだから。

高等教育機関にも色々あるが、学部を除くと大学院博士課程(修士課程は博士前期課程とされている)と言う事になる。(法務研究科などはアカデミックな高等教育機関では無いので除外しておく。)ここでは専門分野について広く浅く学ぶよりは細かい問題を追究する事がまず求められる。ある事象を分類して、細かく解析してそれを元に研究計画をたてる。資料を基に批判をしたり、実験をしたり、数式モデルを作ったり、色々なやり方で今までに得られた知見に何かプラスアルファを残そうとする。もしかするとこの過程で「学力」まで付く事もあるかも知れない。そうでは無いかも知れない。高等教育なり学歴が価値を生むのは、単にそれが「より普遍的な知識・知見の創造の場」だからである。

絶対的真理よりも世間体を価値判断の基準として行動し易いのが本邦である。そもそも絶対的真理等と言うものを求めたりしないのだろう。ガイドラインがあっても、現場で適当に対処する事が大人で、ガイドラインに固執するのは小児病的とされる大人の文化である。「普遍的な知」なるものに価値が認められている事自体が許し難いのかも知れない。

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