Dr. Mori Without Borders / Mori-san Sans Frontieres

森 一仁が医学・国際政治経済金融・人文教養教育など関心問題を国際的・学際的に考える。

ルワンダ支援プロジェクト2007① ~事実を知るだけでも立派な第一歩、つまり参加です~

2007-02-19 04:10:22 | 危機管理:国際人道保健支援・災害救急
読者の皆様へ:日本はODA大国と言われます。自衛隊を管理する防衛庁が防衛省に昇格し、「国際協力任務」が本務として浮上して参りました。ではODAや国際協力業務とは何なのか?誰に対する協力業務で、またなぜ協力・支援活動が必要なのか、私の身近な人々を通して知って頂きたいと思います。本記事を読んで何かあれば連絡を下さい。:drmoriwoborder@mail.goo.ne.jp

以前書いた記事であるオダンゴのナデシコジャパン・ルワンダ奮闘記南を目指すサイコロジストで幾たびも紹介した大切な友人の話と関係があるのだが「ルワンダ共和国」と言う国がある。彼女は臨床心理士としてのバックグラウンドを活かしながら、現地ではソーシャルワーカーとして勤務している。ストリートチルドレンの問題やその他児童の精神衛生と健全な社会生活への復帰をめざして日夜奮闘中である。

結論から記載したい。現地では色々なものが必要である。
*こどもの教育用の日本の計算ドリル
*日本食の材料、ことに煮干やら醤油やらを現地隊員が恋しがっている。
まだまだあるが、とにかく出来る事はある、そう私は信じている。
連絡先:drmoriwoborder@mail.goo.ne.jp


<ルワンダ小史>  ~ほんのごく一部~
ルワンダはもともと王制の国であった。退位前の旧王制派で元々の支配層である少数派民族をツチ族、多数派の旧被支配層をフツ族と言い、もう一つ別の民族と共に3民族共栄の君主国家であった。ここに戦前のドイツ・ベルギーの思惑が絡んで欧州列強による植民地統治が入り込み、現在の火種をつくった。

多数派フツ族がルワンダ政府とルワンダ軍(正規軍)を占めるようになり、周辺諸国に追い出されたり惨殺された少数派ツチ族はウガンダで「ルワンダ愛国戦線(RPF)」を設立しながら抵抗し、多数派フツ族とツチ族は長年の部族間闘争の泥沼へと入り込み、これを国連治安維持軍が監視していた。

*94年1~3月になると国内での緊張が高まりつつあると人権団体等が世界各国に「暴力事件勃発の可能性がある」と警告を発した。この時にルワンダ駐留国連軍司令官・デライレ大佐がルワンダ政府内の過激派フツ族(多数派)がツチ族(少数派)虐殺企てていると国連本部に報告するも、ニューヨークにある本部ではこの報告が無視、国連軍に治安維持行動を起こさせる許可を与えよと本部に求めたが、これが何故か却下されている。

*94年4/6にフツ族出身のハビヤリマナ大統領とブルンジ大統領乗せた飛行機が何者かによって撃墜されると、国内多数派・フツ族はこれをツチ族による仕業と断定し、少数派ツチ族に対する大量虐殺が始まった。これがいわゆる「ルワンダ大虐殺」であり以後94年6月まで続けられた。

*4/9になると大規模な虐殺が本格的に開始されたが、何故か状況に反して国連平和維持活動の停止が国連安全保障理事会によって決定される。このとき旧宗主国であるベルギー政府は国連安保理に国連軍撤退を求めるロビー活動を積極的に行なった。

*4/25になると大多数の国連軍が撤退する。国連軍2,500名の兵士は503名にまで縮小される。この辺りの経緯は映画「ホテル・ルワンダ」を始めとする関連作品で描かれているところだ。友人は語る、「ホテルルワンダの中で国連軍が引き上げていくときの様子身につまされました。(原文ママ)」

*4/28アメリカ合衆国政府は、現地での事件に対して「虐殺」との表現を使用する事を拒否し、国連安保理にも同様に扱う様に警告した。これによって虐殺に対する人道的行動として認められている国連軍の介入の機会を失ってしまう。

*5/17になり国連安全保障理事会は国連軍5,500名派遣に対して同意する。しかしながら多国籍の国連加盟国による派遣費用に関しての合意が得られずじまいとなり、事実上の行動はなかった。

ルワンダ問題は国際社会による“集団ネグレクト”であるとも言える。被害は80万人とも言われ、未だに心身の痛み・苦しみに悩まされている人々がいる。
本記事を読んで何かあれば連絡を下さい。:drmoriwoborder@mail.goo.ne.jp

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