Dr. Mori Without Borders / Mori-san Sans Frontieres

森 一仁が医学・国際政治経済金融・人文教養教育など関心問題を国際的・学際的に考える。

ファシズムを市民が選び取る時代/「持続可能な開発」と「嫌煙権」=環境・タバコファシズム

2005-12-16 22:55:17 | 危機管理:国際人道保健支援・災害救急
"持続可能な開発"と聞いて何を連想するであろうか。"環境問題"・"地球環境保護"・"省エネ問題"・"大学での環境学関連の専攻・学部学科設置"・・・さらに日本では行政改革の一環として"環境庁"から"環境省"への昇格等、社会の中に"環境思想・エコ思想"はすっかり浸透しているように見える。そしてこの"環境・エコ思想"には"良い事"として積極的価値が付与されている。"エコ"や"環境"を追求する事は良い事なのだ!"環境思想"を追求する過程で、これ以上の伐採や農地開発を追及してはならない!しかし果たしてそうであろうか?

「環境思想」を追求する過程で、これ以上の伐採や農地開発を追及してはならない・・・こうした言説が無批判に採用されていくのは実は危険な事である。私は、マレーシアのマハティール首相の発言がとても気になる市民の一人である。「"持続可能な開発"が適用されるのは"先進国"である。我々は食糧確保のためにまだ開発を進めていかねばならない。」

日本人は先進国の一員であるが、この発言をどう受け止めるべきか?「先進国だけは開発が終わったから、開発途上国にはもう開発をさせない」これは余りにも酷な思想・言動ではなかろうか?そして"エコ"だの"環境"だのを声高に主張して賢い市民を演ずる事により、知らずとして私達は先進国優越主義としての"環境ファシズム"を支援しているのである。これはもはや"エコ"ではなく大国の"エゴ"ですらある。


これには類似の現象がある。「タバコ・ファシズム」と称される現象である。"嫌煙権"を盾に、喫煙者を差別する運動である。精神障害者が向精神薬の効果を打ち消そうとするためか、それとも閉鎖病棟での自由の象徴としてか、タバコを狂ったように吸いまくるという現象が知られているが、彼らからタバコを取り上げると言う事は如何なる事を意味しているのであろうか?

あの戦時中の軍隊でさえ、タバコは配給され、兵士達は僅かの精神的余裕をタバコに託した。「タバコ盆出せ!!」とは海軍用語であるが、これはラッパがなり、一日の勤務を終えた事を示す一種のシグナルである。学校ではチャイムが鳴って授業が終わるように、海軍軍人はこの号令と共に一日の任務終了と、何ともいえない安堵感を得たのであろう。私的自由がほぼ奪われた空間におけるタバコは、"健康な市民"が文字通り"煙たがり"嫌がる存在とは意味がまるで違う。総合病院の病棟から、あるいは単科の精神病院の閉鎖病棟からタバコを奪うという行為にも些かの疑問を抱かずにはいられない。

「エコ思想」や「嫌煙権」が拡大し、そこに社会的強制力が伴ったとき、それはファシズムに化ける。たちが悪いのは、このファシズムは、戦争やテロリズムを伴わない"静かなファシズム"であると言う事だ。映画「スターウォーズ エピソードⅢ」でも描かれていた。「万雷の拍手と共に、民主主義は終焉を迎える。」言いえて妙ではないか。

"Eternal vigilance is the price of liberty."     Wendell Phillips, Abolitionist

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