ポスドク:1人採用で5百万円…文科省が企業に「持参金」
2009年5月6日、上のような見出しが毎日新聞に躍った。
正規雇用がかなわずあぶれている博士たちのことが、大問題となって久しいが、その解決へ向けた動きは遅々として進まない。
そんななか、今回、文科省は、「ポスドクを採用した企業へ1人につき500万円を支給する」そうだが、その予算枠はたったの5億円。人数分にして100人分にしかなっていない。ポスドクや専任非常勤講師の身分で、困窮生活にあえぐ博士たちは、すでに4万1千人を下らないにもかかわらず、このうちの1%をはるかに下回る人数分しか準備金はないのである。
さてこの支援策、ほんの少しでも役に立つなら、それでもまだ納得できるかもしれないが、ほぼ無駄に終わるのではないだろうか。
というのも、企業が博士を取りたがらない理由は、これまでもさんざん述べてきたとおり、
①年功序列の中に博士を位置づけにくいこと
(企業にとって、27歳新卒はありえない)
②最終学歴をふまえた給与体系を反映させると人件費が高くつきすぎること
(最終学歴:大学院博士課程修了 27歳。さて、初任給は、いくら? これまた、企業にとってありえない)
③大学新卒者とくらべ、スタートが5年以上も遅く、社内での管理職ポストへの通常の昇進ルートにのせることができないこと
(企業は大卒者を22歳で雇い、十年後をメドに管理職につけることが少なくない。博士は、エントリー時点で27歳。たったの5年で、管理職に昇進というのは、これまたありえない)
↑あたりが本音ですから、持参金などつけても、ほぼ見向きもされないでしょう。
しかも、たかだか500万程度ですから、企業にとってはリスクのほうが圧倒的に高いはずです。「大学院博士課程修了、27歳」の博士の年俸は、500万円を超えるでしょうから、二年目からのコストを考えると当然、企業は臆するはずです。
もし、五億の予算がつけられるのだとしたら、それを資金にして仕事の場を創出するべきでした。
我が国の社会構造には、博士を活かすためのシステムというものがアカデミア以外にほぼ存在していないため、持参金などつけて彼ら博士の吸収を民間に求めようとしても、最初から無理があることは明らかなのです。
コンクリートの上に雨をいくらふらせても、地面の下には染みこんでいかないといったイメージでしょうか。日本社会のなかに、博士という甘露を十分に吸収できる〝砂〟のような土壌こそが求められます。
そのためにやるべきは、現在の社会にはなかったが、潜在的に必要とされているはずの場(博士の意見や高度な知識・スキルを利用できる)を浮かび上がらせ、それが恒常的に成立するように新しいシステムを構築することです。
博士を活かしたいのなら、活かすべき場を作らねば、数万人のノラ博士たちはこのまま朽ち果てるのを待つだけでしょう。アカデミアにしか居場所がない状態(既に、ここにも居場所はなくなっているのですが)、これが問題を大きくし続けているのです。
しかし、探せば、一般社会のなかに、これらあぶれた博士たちの高度なスキルを利用したいという声も見つかるはずですし、現在でも、すでにそうした声に応える活動を行っている博士もいるわけです(たとえば、京大くびきりアイランド 改め くびくびカフェ等)。
しかし、この場合、博士が提供する高度なサービスは、ほぼボランティアで供されるのであって、それでは彼らは自活できません。
サービスを利用する側と提供する側が、直接の関係性のなかで対価のやりとりを行うシステムからの転換が必要だと思います。
そうした、新たなシステムづくりにこそ、投資を行うことが大事だと思います。5億円、このままだと、実にもったいないことになるような気が。。
2009年5月6日、上のような見出しが毎日新聞に躍った。
正規雇用がかなわずあぶれている博士たちのことが、大問題となって久しいが、その解決へ向けた動きは遅々として進まない。
そんななか、今回、文科省は、「ポスドクを採用した企業へ1人につき500万円を支給する」そうだが、その予算枠はたったの5億円。人数分にして100人分にしかなっていない。ポスドクや専任非常勤講師の身分で、困窮生活にあえぐ博士たちは、すでに4万1千人を下らないにもかかわらず、このうちの1%をはるかに下回る人数分しか準備金はないのである。
さてこの支援策、ほんの少しでも役に立つなら、それでもまだ納得できるかもしれないが、ほぼ無駄に終わるのではないだろうか。
というのも、企業が博士を取りたがらない理由は、これまでもさんざん述べてきたとおり、
①年功序列の中に博士を位置づけにくいこと
(企業にとって、27歳新卒はありえない)
②最終学歴をふまえた給与体系を反映させると人件費が高くつきすぎること
(最終学歴:大学院博士課程修了 27歳。さて、初任給は、いくら? これまた、企業にとってありえない)
③大学新卒者とくらべ、スタートが5年以上も遅く、社内での管理職ポストへの通常の昇進ルートにのせることができないこと
(企業は大卒者を22歳で雇い、十年後をメドに管理職につけることが少なくない。博士は、エントリー時点で27歳。たったの5年で、管理職に昇進というのは、これまたありえない)
↑あたりが本音ですから、持参金などつけても、ほぼ見向きもされないでしょう。
しかも、たかだか500万程度ですから、企業にとってはリスクのほうが圧倒的に高いはずです。「大学院博士課程修了、27歳」の博士の年俸は、500万円を超えるでしょうから、二年目からのコストを考えると当然、企業は臆するはずです。
もし、五億の予算がつけられるのだとしたら、それを資金にして仕事の場を創出するべきでした。
我が国の社会構造には、博士を活かすためのシステムというものがアカデミア以外にほぼ存在していないため、持参金などつけて彼ら博士の吸収を民間に求めようとしても、最初から無理があることは明らかなのです。
コンクリートの上に雨をいくらふらせても、地面の下には染みこんでいかないといったイメージでしょうか。日本社会のなかに、博士という甘露を十分に吸収できる〝砂〟のような土壌こそが求められます。
そのためにやるべきは、現在の社会にはなかったが、潜在的に必要とされているはずの場(博士の意見や高度な知識・スキルを利用できる)を浮かび上がらせ、それが恒常的に成立するように新しいシステムを構築することです。
博士を活かしたいのなら、活かすべき場を作らねば、数万人のノラ博士たちはこのまま朽ち果てるのを待つだけでしょう。アカデミアにしか居場所がない状態(既に、ここにも居場所はなくなっているのですが)、これが問題を大きくし続けているのです。
しかし、探せば、一般社会のなかに、これらあぶれた博士たちの高度なスキルを利用したいという声も見つかるはずですし、現在でも、すでにそうした声に応える活動を行っている博士もいるわけです(たとえば、京大くびきりアイランド 改め くびくびカフェ等)。
しかし、この場合、博士が提供する高度なサービスは、ほぼボランティアで供されるのであって、それでは彼らは自活できません。
サービスを利用する側と提供する側が、直接の関係性のなかで対価のやりとりを行うシステムからの転換が必要だと思います。
そうした、新たなシステムづくりにこそ、投資を行うことが大事だと思います。5億円、このままだと、実にもったいないことになるような気が。。