【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

まともな『座標-吉野源三郎・芝田進午・鈴木正』書評を望む

2014-06-09 11:31:40 | 社会・政治思想・歴史

櫻井智志
インターネットで『座標-吉野源三郎・芝田進午・鈴木正』を検索すると、どの検索でもたった一件しかヒットしない。「KUMA0504」さんという方の感想文である。
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「座標ー吉野源三郎、芝田進午、鈴木正」期待したのだけど‥
「混迷する現代、思想家古在由重を縦軸に、吉野源三郎、芝田進午、鈴木正を横軸に、真理のベクトルを模索する」という副題がついている。その視点に共鳴して本書を手にとった。結果は、志だけが先走りして、なんら学問的な貢献のない本だった、という感想しか持てなかった。
全ての章に、読書感想文以上の厳密さはなかった。所々断定口調の文章があるが、根拠となる引用がされていない。たとえこの本が啓蒙書を意図して書かれているとしても、それならばなおこそ、重要な所は本人の肉声(引用)をもって証明するべきだろう。
吉野源三郎は纏まった書物を著さなかった。彼の本領は「君たちはどう生きるのか」などの啓蒙書にあるのではなく、「世界」等の編集を通じて、目的を明確にした世論形成にあったと私は思う。また、それを雑誌の構成、後書きなどで証明することは、日本思想史に貢献することだろうと思う。それは、これからの若手がやってくれないかと私は期待する。
その場合、芝田進午のように、決して研究室にこもることなく、実践的唯物論の立場から、是非とも研究を纏めて欲しいものだ。序でに芝田進午の方法も、何処に優位性があり、何処に壁があったのか明らかにすることは、これからの日本の民主運動に大きな貢献をすることだろう。
古在由重の本格的な評論もまだ作られていない。これも待たれる。鈴木正については、ほとんど知らなかったので、なんとも言えない。
また、これらの思想家を概観して、国民統一戦線の展望を書いている。古在由重にしても、吉野源三郎にしても、この分野での思想的貢献は大だと私は思っていたので、どういうことを書いているのか、注目した。残念ながら、これも感想文の域を出なかった。彼らが何を大切にし、何処でつまづいたのか、きちんと明らかにしないとこれからの課題は明確にならない。円卓会議が大事だ、なんてことは誰でも言える。
2014年4月5日読了
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 小生の『座標』を一通りでも目を通したかたなら、わかるであろう。この匿名のかたの文章は、まともに本を読んだ形跡がない。具体的に言おう。
①「吉野源三郎は纏まった書物を著さなかった」について
吉野の『きみたちはどう生きるか』を大学院生から助手にかけて読んだ丸山眞男は、感銘して日本独自の哲学的思想的貢献と書き残している。それを啓蒙書とか纏まった書物ではないと断定する著者の独断は、すべて『座標』の中に記されていることなのに、なんらその事実について記したことを通過している。
②゛「芝田進午のように決して研究室にこもることなく」について
芝田氏は、研究室にもこもると同時に、社会的実践に携わり、そこでの生の資料を取り入れてあれだけの労作を築き上げた。
③「鈴木正については、ほとんど知らなかったので、なんとも言えない」について
古在由重が原水禁運動の統一問題から、日本共産党を除籍され、いままで周囲をとりかこんでいた取り巻き学者が波がひくようにさわらぬ神にたたり無し、と関わりをやめていった。この時、ずっと古在さんの学問的人生的話し相手として『哲学者の語り口』をまとめあげたのが鈴木正である。そのことも書いているが、まともに著名な学者でないと自分の判断で何も言えないのだろうか。
④「国民統一戦線の展望を書いているが・・・感想文の域を出なかった」について
このかたは、まともな読書とまともな感想を書くつもりはない。自分が感想文と思うなら、感想文程度の著作に自分がどう考えるかの考えを述べるべきだろう。
⑤私は書斎に閉じこもったり、学会に論文を書いて業績をあげたとうぬぼれている最近の「唯物論哲学」学者を含めて、批判的立場にある。学問であるか、読書感想文であるかが大切と価値の判断を置かない。必要なのは、自らの生き方として戦後民主思想家の生き方から学び取ることが大事と考えている。
 インターネットで拙著『座標』の評価が、こんないい加減ででたらめな論評にも値しない文章がどこの検索でもヒットするようでは、教員の仕事の寸暇を惜しんで二十年間をかけて、系統的に読み分析し、唯一まとめあげた著作に費やした私の人生への侮蔑でしかない。ブログの論調から左翼とみなせるが、このような紋切り型左翼が古在さん、吉野さん、芝田さんらの哲学や思想を公平に評価せず、庶民に定着するのを阻んできたと私は考える。
 名古屋経済大学の副学長の激務からか白血病で闘病生活を闘っている鈴木正先生は、拙著を贈呈して、喜んでくれるとともに、知人に贈りたいからと十冊前後を購読した。芝田進午先生の奥様貞子さんは、平和のためのコンサートの入り口に十冊販売しませんか、と言ってくださったので、全額をバイオハザード反対研究・運動団体に寄付をこちらから申し入れた。吉野さんがいた岩波書店の社長、「世界」編集長にもそれぞれ贈呈した。
 なんのために『座標』を書いたか。それは、4人の思想家を虚心坦懐に知ることで、人間的情感を豊かにはくぐみ、それを土壌に寛容の思想、統一戦線の土壌と基盤、原動力をつかんでほしいと訴えたかったからである。【「左翼学界」の「業績主義」の学問】になど初めから関心はない。
 誰かいないか。
素朴な感想を文字化してくれるかたは・・・・・
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